昨日
ブルックリンのあと2日連続で酒を飲まずに帰る。睡眠時間の確保のため23時には床につき。
寝ているときに掛け布団がはだけており寒さを感じる。そのせいで明け方に目覚めた。そのとき集団でプールに入る夢を見た。中学時代の友人たちと、べつの中学と合同でのプール演習に参加する。泳げるようなスペースはなく、水の色は濃い青緑、流れるプールの陰気なバージョンを歩くだけのよくわからないプール演習。遊泳ではなく別の目的があるかのようにも思える。友人のひとり[ぐっち]の名前を大きな声で呼んでからプールに入る。返事はなく、皆がどこにいるのかわからず、周りには知らない人だらけで心細いと感じる。
今日
在宅仕事。一応CCNPの勉強をする。生きるモチベーションが上がった反響から資格試験へのモチベーションが下がっている。資格試験の勉強なんてやってる場合じゃない。そんな時間があったら少しでも小説を読み進めたい。と、思いつつ仕事中には十分な集中ができないので小説は読めない。
仕事後にブルックリンにいく。雨がふりはじめそうな天気だったがギリギリ間に合い降られずにすむ。
『芽むしり仔撃ち』を読む。『遅れてきた青年』では省略された感化院での生活を重点的に描いた作品のように思える。もちろん違いはあるが、もっとも大きな違いはそこに弟が参加していること。不安だ。2章まで読んだ。疫病が流行り始めている兆候があり、そんななかで村の子供達にはさせない仕事を主人公たち感化院の子らが担わされている。弟は無垢な好奇心の塊のように描かれている。不安だ。
顎を突き出して歩く人は何を考えてそうやって歩いているのだろうか。気を張って歩くときに無意識に顎が突き出るというのが答えという気がするが、それは単純に見すぎだろうか。仮に正解だとした場合、気を張りすぎるあまり気が回っていないということになる。いわゆるおしゃれな場所でそういう人をよく見るので、しゃれた場所でリラックスできない人が気を張ってしまっているということだろう。洗練された場所で気後れを感じることはほとんどなく、むしろ洗練されていればいるほど居やすさを感じるので、そういう人の気持ちはわかってあげられないが、場に負けまいとする気概は感じられる。もちろん、洗練されているときでも方向が合わないということはある。そういうときには気詰まりに感じることはあれど負けまいとすることはない。自分はそういうときにはうつむきがちに歩く。顎を突き出している人は上を向いて歩いているので向上心や負けん気があるように見える。
おしゃれな場所には敗者を巧みに隠そうとする力学がはたらくもので、敗者はどこにもいないかのような空間演出に余念がない。そしてそのおかげで実際に「負け」が存在しないように見え、それがその場の洗練の度合いを確かにする。唯一、彼らの突き出した顎だけがその優しい空気を切り裂き、協力して醸そうとする甘い雰囲気を打ち壊す。偽善だ!とうわずった声で叫ぶ高校時代のクラスメイトに似ている。この世界は決して甘くなどなく、われわれは不断の闘争の過程にあり続ける、というステートメントを発表する行動主義者のようだ。彼らは打ち克とうとする。そしていつかは実際に打ち克つだろう。虚偽や虚飾の渦巻く場所では負けているように見えようと、現実という場所で最後に打ち克つのは、負けそうなときにも闘争心を失わない彼らのほうである。いくら負けているように見えようとも委細気にせず闘いを挑むことで相手を屈服させることに成功するだろう。彼らが前に出た分だけ相手は後ろに下がるからだ。
ひとりが顎を突き出して足早に向かってくる。もうひとりはその人に道を譲る。それがいつでもどんなカフェでも起こっていることである。