20230325

日記75

急行が行く

昨日
カフェを出てからTSUTAYAに行き、ブルージャイアントシュプリームの5巻6巻7巻を買う。帰ってそれを読んでから寝る。

今日
朝起きてオートミールの朝食をとってからスタバに行く。つよめの雨が降っていて裾が濡れる。靴下も若干湿ってしまいせっかくの朝スタバなのに不快さがある。
『遅れてきた青年』を読む。東京編になった途端精彩に欠くような気がする。今の東京のイメージが自分の中にありすぎて昔の東京のイメージだったり他人の東京のイメージが受け入れられないだけかもしれないが、田舎の描写がすぐれていたのは明らかだし、それと比べると魅力が落ちる。
主人公の政治家になろうとする野心がみすぼらしいものに感じられる。ただ生き延びようとしているだけのようにみえる。
ようするに初めの方にあって途中までは持続していた勢いがなくなったということだ。小説全体を通してこの緩みは必要なものなのかもしれない。だから上のように感じたという感想はたんに部分を見てそう思ったということにすぎない。
『月と散文』の読書感想文の回を読んでいて「感想を書くときには作者に対して敬意を表することを忘れない」という内容にぶちあたった。敬意を表するからこそ、言いたいことをいえるというのはあるだろう。それに、まったく敬意を表せない何かを読んだ場合はそれについて何も言わなければいいだけだ。だから敬意を表するというのは正しい考え方だと思う。自分の場合、面白くないものについては触れたくないし触れないようにしているので、敬意を表することのハードルが下がっている。手前勝手な表し方なのでそれでは敬意に欠けるよと言われるかもしれないが、これで良いと思っている。だいたい敬意を表するってなんだよ。敬意なんてのはもよおしてしまうものだろう。本来誰に対しても抱く必要のないものをつい抱いてしまうというような、いってみれば「気後れ」のいい感じの言い換えだろう。もちろん勝ち負けではないが、面白いと思ったらそれはもう負けだ。敬意というのは負けたときに負けでいいと思う奴隷根性のようなものだが、面白い以上、そういうことでもべつにかまわないと思っている。そこへ追撃のように「負けでいいと思っていなければならないぞ」とまで言われると、仮に負けでいいと思っていたとしても反発してしまいそうになる。
つい敬意を抱きそうになったことに対してつい反発してしまいそうになって、でも面白いからと屈服させられて、ということが繰り返されると、簡単には面白いとは思わないぞなどとつまらないことをつい思いそうになるが、結局面白いものは面白いのでつい面白いと感じてしまい、つい敬意を抱きそうになり……、

一年前の日記を読み返すと、書いていることが少ないのが気になる。内容の薄さみたいなものはあまり感じられないが、前提にしていちいち書かない部分というものが多そうなのに比べて実際に書いてある分量が少ない。内容の薄さを感じられるほどの分量もないというのが実際のところだ。書いていないことを思っていそうな口ぶりに腹が立つ。口ぶりに注意を向けている暇があれば前提まで書いてしまえばいいのに。
長い文章を書くとボロが出ると思っているのだとすればそれは間違っている。短い文章のほうがその手のボロは出やすい。正確にいえば出る頻度は変わらないだろうが、短いと欠損が目立ち、長いと他の欠損にまぎれて目立ちにくくなる。欠損や不足を生まないように書いていこうとするのであれば訓練が欠かせないし、それは量を書くというところにしかない。何回同じことを言うのかと思うけど、べつに回数制限なんかないので何回でも言えばいい。
ただし、他に書くことがないとそればっかりになっているようにみえるので、すこしはバリエーションを意識して量と数を増やしていかないといけない。これも毎度の付け足しだ。
店の軒先の小屋根から雨だれが落ちている。かなり弱く締めた蛇口からシンクに水滴が落ちるぐらいのペースで間断なく雨だれが落ちていく。その様子をしばらく見ていると、だいたい50を数えたところぐらいで飽きてやめるぐらいの早いペースで雨だれが落ちていた。
今日はイングリッシュブレックファーストティーを飲んでいる。このスタバは値段が高い分、ティーをポットで提供してくれる。それにしてもドリップコーヒーが880円するのには引いてしまった。シングルオリジンかなにか知らないが、抽出方法も好きに選べるのか知らないが、そんなのいくらなんでも高すぎる。バーで飲むスコッチウイスキーじゃあるまいし。

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