20230321

日記71

水上中華チェーン


昨日

出社日だった。仕事終わりに四ツ谷の友人宅に荷物をおいて夜桜狩りに出かける。 四ツ谷市ヶ谷九段下千鳥ヶ淵飯田橋市ヶ谷四ツ谷の順に歩く。


今日

自宅読書会をする。良い悪いで判断するところにべつの尺度を導入するのが合理性には必要になるはずだという主張を展開する。べつの尺度とは「近さ」だ。どんな社会的指標であっても各人にとっての「私」を織り込まないようではどこまでいっても合理性に欠けたままだ。

昼食にチーズナンを食べるため「印度」という店に出かける。炭焼きチーズナンというメニューだったが、チーズナンにおける我が故郷「ナマステトウキョウ」には遠く及ばず。なんだかんだでお腹いっぱいに食べて即帰宅し、昼寝をする。

参加した演劇作品の上映会に5分遅刻して行く。その後、新雪園の地階で打ち上げをする。あんまり喋れるようになっておらず、何だったらもとの黙阿弥で、緊張してぐびぐびとビールをあおってしまったが、みんなの話を聞いているのは楽しかった。自分の話がもうすこしできるようになりたいと思わないでもないが、飲み会でできる話の持ち合わせがないから、という言い訳と、三週間で本当に恐ろしいくらい忘れているという言い訳とがあった。あとは個人的には過去の振り返りに興味がないという言い訳もある。

言い訳ばかりだが、話がうまくドライブしていかないときと何も考えないでも転がっていくときとがある。昨日の花見ウォークでもおしゃべりには花が咲かず、よく口の動く友人のあまりパッとしない話の時間が長くなったりして、それに対処できずただ黙っている時間が長くしまったし、場のコントロールがうまくできるときとそうではないときとがある。テンションが上がらないというかチル状態のときには酒の場に参加してもあまりおもしろくならない。自分がその場に貢献できることなどわずかだが、わずかでもおもりになるのか浮きになるのかで全然違ってくると思う。第一自分の気持ちが違う。

自分は自分のやるべきことをやらないといけない。未踏という自費出版文芸誌を近所のイベントスペースで売っているのを見つけてどうも気になってしまった。手に取るところまではいかなかったが、やらなければならないことが今あるのだとすればそれは小説を書くことだろうとあらためて思った。資格の勉強という概念が行方不明になっているような気もするがそんなことは関係ない。飲み会とか桜狩りとか削れる時間はたくさんある。

ビールを二杯にとどめ、終わってまだ7時半だったこともあるしスタバに行こうとしたが満席だった。仕方ないので屋外に設置されているソファに座って日記だけ書く。

演劇に行って思うのは「フリーライドをさせてもらった」ということで、振り返ってみても、人の用意した面白い滑り台を滑ったという経験に過ぎないと思う。フリーライドというには言い過ぎにしても自分の支払える運賃は、自分には簡単に出せるものにすぎない。それを発揮したところで周りに面白がってもらえるほど自分自身は面白くない。不満があるとは言わないが、皆が社交上の礼儀として褒めてくれる箇所は自分にとっては面映い部分で感謝の意を伝えないとと思う気持ちに反して、嬉しくなさそうな表情になってしまわないように必死になるしかなく、微妙な空気にしてしまう。ちょっとしたおもりを越えて、まあまあのストッパーになっていながら気分が良いと思えるほど人間ができていない。もう一度スタバをのぞいてみて満席だったらおとなしく帰ることにする。

運良く一席だけ空いていたので滑り込む。昼間のチーズナン合わせでいつもたのまないチャイティーラテをたのむ。さっきの飲み会でうまく話せなかったことの理由をさまざまに分析しようとしていたが、ああいう集まりに遅刻していくのがはっきり良くない。それで一切気まずくならないのであればまだしもだが、時間に遅れていったことですこしでも気後れを感じるとするなら、ごちゃごちゃ言う前にまずはそういうあきらかなマイナス要素を減らすべきだ。話はそれから。

あと、小説を書かないといけないみたいなことを書いている時間のほうが肝心の小説に費やしている時間よりも長くなっているのではないか。思ったことを書くという心がけは日記を書くにあたって自ら決めたルールではあるのだけど、そればっかりになって一向に進めるターンがやってこないのは、決意なり志向なりやるぞという気持ちなりが虚しくなることだからやめたほうがいい。それでもスタバにくるだけマシだが。

ブログ移行のお知らせ

当ブログ だから結局 は、Wordpressに高い月額利用料を払い、以下のURLに移行することになった。 だから結局 ぜひブックマークして、日に何度もチェックをお願いしたい。