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下北沢演劇祭の演劇に出演した
しかし、これじゃ何のことかさっぱりわかりませんと人は言うだろうから、せっかくの経験を人に伝えるに、この私でもさすがにやぶさかでないとしか言えないので、も少し具体的にどんなことをやっていたのかということを中心になるように書いてみようと思う。演劇WSというのは基本的に素晴らしいものであるという前提で書く。だから今回のWSも素晴らしいものであったというのは前提になる。そのためにかえって肝心の素晴らしさについて云々しないで、ここはもう少しどうにかなったのではないかという文句のようなものが前面に出てきがちになるかもしれないのであしからず、と注意しておく。
まずは説明会から。これは説明会・ワークショップ(以下WS)と称しているが出演者からすれば実質的にはオーディションの場であった。下北沢演劇祭の創作プログラムはプログラムAとプログラムBとに分かれるのだが、説明会はAB同時に行っていた。参加者はAかB、またはその両方に参加希望の意思表示をすることができた。ざっくり言うとこの年、Aはダンス中心のミュージカル、Bは(漠然と)演劇という印象で、ほかに大きな違いとしては稽古日に割り当てられている日数の違いがあった。私は演劇の稽古というものをやってみたいという願望があったので、稽古日が多いBを選んだ。
説明会では、まずAの演出担当とBの演出担当が挨拶をした。Bの演出のほうが感じの良さと威勢の良さの両面で上回っており印象的だった。「演劇が嫌いで」という口上は、「演劇(と呼ばれているもの)が嫌いで」という読み替えがわりと容易にできた。演劇のことが自分なりに好きなひとが言いそうなことだと思った。対象が何であっても、それについて”自分なりに”好きと言える人のほうが面白い傾向があるので、B希望にして正解だったと思った。
説明会の説明パートはスタッフの人によってスムーズに終わった。コロナ関連の注意点やこの後のスケジュールについて話していたと記憶している。オーディションパートではダンスをやったり、他己紹介をやったり、60秒の至近距離見つめ合いをやったりした。とくに手応えのようなものはなかったが、初心者・上背・家近所というわかりやすい武器があったので、挑戦的なタイプであれば私を見逃さないはずだという臆断をくだすには充分だった。
予想が的中して当選のメールが届き、WSに参加することになった。2ヶ月ぐらいの準備期間があり、そのあいだにメールで自己紹介のような文章を参加者同士で送り合ったりしたが、始まる前に変な先入観を持たれたくないと思ったので無難なことだけ書いた。この期間はとくに何もしていなかったが、期待というよりは思いつきが現実になるという恐怖が多く頭を領有していたと思う。
初日のWSは友人の結婚式が重なり出られず、二日目からの参加になった。まずやったのは自分の呼ばれ方を自分で決めて発表するということで、そのあとの「名前呼びゲーム」でさっそくその名前で呼ばれることになった。このときに大学時代から使われている友達からの呼び名を多少の被りを気にせず押し通せたことが、のちのちの展開を思えばまず正解だったと思う。名前呼びゲームでは自分の名前が呼ばれると、それを受けるターンがあり、そのときに自分の名前を自分で発声することになる。名前呼びゲームは演出がもっとも大事にしているコミュニケーションの基本、演劇の基本ということで、毎WSで繰り返しやったし、本番前のアップでもやったぐらいだから、自分に馴染みのない思いつきの呼び名に決めないでよかった。
初顔合わせということでWSではこの日がもっとも緊張したが、心理的安全性の確保に長けていることをまざまざと感じさせる演出の手際で、すぐにリラックスすることができた。一口で手際と言っても、それを発揮するためにはいろいろの試行錯誤を経てきているのだろうし、緊張という余計な軋轢を生まないための心配りはWS初日から本番千秋楽までずっと続いていて、その一点だけとっても、無い帽子を脱いででも尊敬の意を表さずにはいられない。とくに人前で緊張しやすい私にとって、演出が示した丁寧な言動・振る舞いは何よりの助けになった。
演出の影響力というものに十分自覚的であるというのは、私が思う演出家の最低条件ではあるのだが、実際にそういう人を目の当たりにすると雁字搦めに近い状態にまで自身を追い込んでいるように見えたし、これは誰にでもできる芸当ではないなと思った。もちろん完璧にこなせる人はいないし、ほぼ完璧な人のたまのミスによる負の影響は、何も気にしていない残念な演出家のそれと比べてかなり大きなものになるだろうということは予期していたし、それに当てられないようにと注意していた。(結果、私に関していえば完全に杞憂だった)
演出が繰り返し言う「コミュニケーションが大事」ということの意味が私にはあまりピンとこなかった。「相手のセリフを聴いて、自分のセリフを言うということを心がける」と聞いても、そんなの当たり前じゃん以上の感想を持てなかった。「それができない人が多い」とこぼしていたが、「そんなものですかねえ(超簡単じゃん)」という感じだった。WSが佳境に入って、本番が近づくにつれて「コミュニケーションが大事」の意味がわかってきた。WSでいとも簡単にできていたことが、一気にできなくなったからだ。私だけではなく、共演者の多くがWSで事も無げにできていた「相手のセリフを聴いて、自分のセリフを言う」ということができなくなっていた。彼らは(おそらく私も)トーストしてしばらく経った食パンのように固くなってしまっていた。固いままでも成立はしてしまうから恐ろしいということも言っていたが、それが事実なのだとしたらたしかに恐ろしいと思う。焼き立てのトーストとそうじゃないトーストは同じ組成でもまったくの別物だといえるから、そういう取り違いがもしあったなら、そしてそれに気づかないままでいるなら、これほど残念なことはないからだ。
最初の日からアップとして車座になってやる簡単なコミュニケーションゲームをいくつかやった。その後はジェスチャー伝言ゲームをやった。2チームに分かれてそれぞれに同じお題が割り当てられ、言葉を使わずに30秒間で人に伝え、受け取った人はつぎの人にそれを伝え、というふうにして、最後尾の人はお題を当てるというゲームだった。最初から難しいお題が多かったが、初心者の側からいえばそれによってジェスチャーの出来不出来をあまり意識する必要がなくなったのでかえってありがたかった。
極力言葉を用いないで成立させるというのを考えていたようで、結局、本番で披露した演目もほとんどセリフがない芝居になった。自分としてはセリフを言ってみたいという願望をもっていたので、若干肩透かしをくった形だが、本番が近づくにつれセリフがないことに感謝する始末だったのであまり大きなことはいえない。それでもセリフがないというのは役者からはもっとも不満が出るところかもしれないと思った。横のつながりを持てないまま本番を迎え、どういうことを思っているかというのを裏で聞くような機会を持たなかったので想像の域を出ないのだが。
ジェスチャーゲームで言われたことは「記号的な表現にならないで」ということだった。ゲームに勝つためには記号的な動きを取り入れて確実に伝えるほうが有利なのは間違いないが、ゲームに勝つことをそこまで重視していないということも随所で口にしていた。ゲーム自体がどうでもいいとならないようなバランスが必要なので勝ち負けもそのスパイスになるが、ゲーム自体はあくまでも手段であって目的ではないというのは、皆大人なので理解していたように思う。参加者の聞き分けの良さのようなものはつねに感じていた。かくいう自分もそうで、意図を汲もう汲もうとして、わけのわかったような態度をいつもとってしまい、勝手につまらなくなってしまったと反省している。
すでに理解していることを確認するためにWSに参加しているわけではないのに、はいはいそうだよねとひとり合点してしているのは思い返しても情けない。不安を自分なりに解消するために無意識にそういう動きをしてしまっていたのかもしれないが、いずれにせよ褒められたことではまるでない。
参加者の中には、「え?どういうこと?」とか「わからない」という人もいて、そういう態度こそ自分に必要なものだと思ったので、疑問を瞬発的に口にすることを心がけた。たとえば仕事などでは、わかっていなくてもわかっているふりをしてその場をしのいだりやりすごしたりするスキルが必要になることがあるが、WSではそれを封印しようと思った。
わかってほしそうにしていることをわかってあげない、と言うとやり過ぎのように感じてしまうが、それぐらい過激なことをやってみようと思った。こういうのは普通こうなる、というのが感じ取れても無視するというか。
そういう過激なことをあえてやってみようという気になったのは、そういうことをやっても許される雰囲気がその場にあったからというのも見逃せない。今回出演するにあたっては、演劇のお約束に付き合わないようにするというのは自分の良さを出すためには欠かせないことだと思ったから、できるかぎり非常識を押し通そうとして臨んだが、その邪魔をするのではなくかえって追い風になってくれたと感じた。しかし、そのせいで向かい風に立ち向かうという意味での興が削がれたのも事実で、今になって思うと、陳腐な例えだが「北風と太陽」のようだった。
演劇創作は、あるテーマから言葉を連想し、それをお題にしてチームごとに自由に創作するという形をとった。一番自由に決められるのは最初の何も決まっていないときなのに、そのときには皆消極的で、ある程度方向性が定まってきて好き勝手変えられないようになってから徐々にエンジンが温まってきていろいろ独創性を発揮しようとし始めるというのは、自由な創作の名に恥じないとはとても言えないお粗末クリエイティビティだが、自由を与えられていると感じさせつつ手綱を引きやすいのはこのやり方で間違いない。この点に関しては仕組まれていたと感じる。羊の集団に「ご自由にどうぞ」と言えば大抵の場合固まるものだからだ。まあ、まんまと固まってしまった言い訳なのだけど。
本番は細切れに分かれたパートをいくつもつなげたような格好になったのだが、最初に10分か15分そこらで考えたたいして独創的でもない単なる思いつきを形にして最後まで演じることになったパートもそれなりにあった。WS全体を通して創作の意識は低かったように思う。会議で当たり障りのない意見がなんとなく出て、とくに賛成も反対もされず、皆一様にパッとしないなと思いつつなんとなくそのまま決まってしまうというとき特有の雰囲気を感じた。否定しない良さが裏目に出て、「駄目じゃない」が合言葉になったきらいがある。ただ、もっと殺伐とした現場とのトレードオフで考えるのなら、間違いなくこれで正解だとは思う。
ただし、最後のほうに出たお題とその創作では、「やっぱこれなし」とか「全然違うのに変えます」というのが横行して、いい感じのカオスが部分的に創発した。はじめのうちからこれを出せていたらと思わないでもないが、全然出せないまま上辺だけスムーズに進行していかないでよかったという安心感のほうが大きい。変えたから良くなるという単純なものではないけれど、変えたい・変えるべきだという成果からみて真っ当な評価が共有できたこと、実際に土壇場で変更したことはポジティブな出来事だったと思う。
演出という立場からは「これは全部変えたほうがいいんじゃない」とは言えないので、自分たちでその判断をするしかない。もっと早い段階から、もっともっと変えていくべきだったと思う。創作については極力意識させないでぬるっと始めるという演出の意図そのままに、気づかないうちに創作をはじめていて、いつの間にか完成しているという事態に陥ってしまった。紛れもなく私たちの創作なのにもかかわらず作品に対する責任のとり方がまるでなっていなかったと思う。責任のとり方がなっていないというよりははじめからその気がない、責任がないという感じ方をしてしまっていた。どこか他人事というか、自分事のわけがないと思っていたのだと思う。そういう意識・無意識に対してフラストレーションをためる共演者もいただろうと思う。
ただ、責任をとるというのは難しくて、その気があるからといって責任がとれるわけではない。責任の一端に触れさせようとしただけなのに押しつぶされてガチガチになってしまうという事態も容易に想像できる。その意味では、責任などないと感じることで一番の恩恵を受けていたのは自分だという自覚があり、だからどの口が言うねんということを承知で言うが、もっと参加者ひとりひとりに作品についての責任を感じさせるべきだった。
配慮されているという意識は終始拭えなかったし、配慮が必要な状況に陥っていた自覚もあるけれど、もうすこし自分が作品の一翼を担っていると思えれば良かったのにという後悔に近い感情がある。本番や作品に対してもそうだが、それ以上に一回一回のWS対してもっとやれることがあったのではないか。
身体を動かすということについては真剣に取り組めた。ペアになって相手が動かした新聞紙と同じ動きをするというWSがとくに面白かった。創作部分、連想ゲームでもっと突飛なことを考えつくべきなのに前半でちょっと疲れてしまって(言い訳だ)、無難なことしか言えなかったのが自分の能力・ポテンシャルを考えるとどうしても残念だった。
コロナ下ということもあり、WSはすべてマスク着用で実施された。劇場入りして、場当たりからようやくマスクを外した状態で共演者と向き合った。このとき匿名から実名に切り替わったような感覚をおぼえて面白かった。ゲネプロ・本番(4回あって4回とも)はとても緊張したし、久しぶりに唇が荒れたりもしたが、何も考えられないほど一生懸命になっている瞬間がそれなりの時間継続したり、お互い限定的にしか知らない人たちと接近したりするのはどう思い返しても楽しかった。