裏表きらりきらりとちる紅葉 正岡子規
これがちょうど今の気分にしっくりと合った。道後温泉にいながらも、かつて訪問した道後温泉の名残りと見比べてみたり、そのときに起こった出来事を思い出そうとして、現在の道後温泉にいるという感じが半分ぐらいになっていた。ただ、そもそも前回の散策でも、小説で読んだ当時の名残りをどこかに見つけようとしていたし、旧蹟を訪う周り方をしていたはずだと思う。そういう今と昔とがちょうど半分半分になってどちらがどちらとも言えないまま、日を受ける短い間にきらりきらりと光る感じが、今回の散策風景に、そしてたぶん前回の散策風景にも適合する気がした。当時の訪問は夏で、今回は秋というちがいはあったけれど。
昔たわむれに詠んだ句は一切覚えておらず、ただ俳句ポストに吸い込まれていっただけだったが、今回はひとりで周ったこともあって、同じたわむれながらもできた句を保存する時間を設けることができた。道後温泉から松山市駅に向かう路面電車のなか、後部座席から通ってきた線路を見ながら得た三句
折れ曲がるレールの先の道後の湯
湯けむりに霞んでみえる在りし夏
立ったまま団子食う間の夕まぐれ
前回と今回とのちがいには、過去のことを思うのと同時に未来のことを考えてみたところにある。当時は今よりももっと先のことを考えないようにしていたのに比べて、今回は先のことを考えないようにする気持ちがうすかった。その分、先のことを考えたかというとべつにそういうこともなく、ただ漠然とまた来たいなと思っただけだったので、ただそう思うに任せた。割合にすると、過去5:現在4:未来1ぐらいの案配。
宿泊したホテルは1年も経っていないぐらい新しくてきれいだった。松山市駅前なので3Fの大浴場の外湯につかると、直下の伊予鉄の発着音や街の雑踏音がうっすら聞こえてきて、まだはやい時間帯だっただけにほぼ貸切状態で、とても気持ちのいい極楽気分を味わえた。
タリーズバイト時代の仲間と夜に集まって飲む。あれから6年も経っているから当然みんな変わっているんだろうけど、お互いについ「変わらないねー」などと言い合ってしまう。宿泊ホテルが皆一緒だったのでそれぞれ風呂に入ったあと、ホテルの部屋でアイスを食べる。みんなそれぞれの近況を話していると一瞬で時間が過ぎ、私などはもっと話したいぐらいだったが、明日も早いということで2時頃におひらきになる。
昔の自分が何を考えてどういう方針で人と付き合っていたのかということを考えてそれに反しないようにしようとするのが、久しぶりに会ったときのぎこちなさに重なってますますぎこちない空気を作り出してしまうということがあると思う。そういう流れをフツリと切ることができればそれを皮切りに当時へと一息になだれ込んでいけるものだが、そういうことが起こるかどうかというのは時の運ではないか。当時の思い出を更新したいわけではないのだし、無理に前に進んで見せるのも、前に進んだよと報告するのもちがう気がする。
当時から自分は自分勝手にいようとする気持ちがあったと思うが、今ほどそれを前面に出せていなかった。もっと短いスパンでも、たとえば去年に比べても今のほうがさらに自分勝手になれていると思う。それをそのまま昔の友人とのあいだにも適用させようとするのは違う。違うというかうまくできる気がしない。昔の友人を昔の友人扱いせずに今の友人だと思うのであれば今の自分を出すのは是非とも必要な一手なのだが、一日や二日の再会でそれをできるとは思えない。そうは言っても忠実に昔の感じをそのままなぞることも難しいから、今が滲出するのに任せるというのが去年の今頃に採用した方針だった。
昨日
天候にも恵まれ、とても良い結婚式だった。ゲストを楽しませようという気概に充ちた、友人らしさ全開の式と披露宴だった。普通という枠には嵌まらない、よく考えられた内容で本当に感服した。6つ年下なのだが、いつもお世話になっているという以外なく、バイト当時から一貫してお世話になり続けている。ホスピタリティの言葉の意味を十分理解し、表現に落とし込むことで実践してみせることのできる人間はそういない。心底まじめなパーソナリティだけにまじめくさっていられないからなんだと思うが、儀礼的なものも個人的なものもあわせて冗談が多彩なのも見習うべきところ。心意気ひとつとっても到底及ぶべくもないが。俺もちょっとは頑張らないとなと背筋が一瞬伸びる。
去年はなぜか書いていないが、友人は結婚式の準備のために寝ないで頑張るということをしていたらしい。それを見て思うのは、頑張りすぎないようにしようというのではない。長く頑張れるように頑張っていこうというのだ。彼はかつての高校球児らしい価値観をもって長く頑張れるように頑張るというのでは頑張りが足りないと思うのだろうが、それでも長く頑張れるように頑張るために頑張れるようにしようというのが自分が唯一彼に言いたいことだ。
行き帰りのフライトで『ジェントルメン』という映画を見る。あとは『となりのサインフェルド』を5,6話見る。
コンディションのせいかジェントルメンがそこまで面白くなかった。同じ環境で見た『となりのサインフェルド』がどうだったか記憶が曖昧だが、すくなくとも面白くなかったという印象はなかったわけで、たぶんジェントルメンは面白くない映画だったのだろう。
無事帰宅の連絡をすると、男3人のうちふたりまでもが飛行機を逃すという報告を受ける。相変わらずというのはこういうことだと思う。いつも終電で帰っていた自分がちゃんと間に合うように空港に向かうのも含めて。また飲みたい。
自分には「終電で帰れちゃう」コンプレックスがある。終電で帰れるからこそ抱くコンプレックスだ。そのスタンスを変える気はなく終電があるときには帰る気満々だが、だからやっぱり帰れちゃうもんでどれだけ薄まってもコンプレックスの気配は拭いえない。