20221024

日記47

昨日
大江戸骨董市のため有楽町まで出かける。奈良クラブの大一番があったのでネット配信の生中継を見る。SHAKESHACKのハンバーガーを食べながら試合終了のホイッスルを聴いた。一点返しての引き分けというドローゲームのなかではもっともポジティブな結果だったこと、J3参入資格を得るための観客動員をクリアする1万4千人の来場者数があったことから、ベストではないにしても良い結果だった。
有楽町にある大きな会議場のことに少し明るくなった。骨董市やバザーの類には興味を持てず、ベンチに座っている時間が長かったが、いい天気なのもあってご機嫌だった。
外苑前のACTUSに行って家具を見る。表参道ピザを食べてから下北沢で買い物をし、帰宅。外苑前の交差点でともに白髪の夫婦が歩いているのを見かける。目に止まったのはおしゃれさが際立っていたためで、年齢に相応でいながらもそれとわかる高いブランドをつけているだけのことでもなく、流行のキャッチアップとそのアレンジができていて、本当のおしゃれさがあった。老人になっておしゃれでいると、只者ではない感じがするものだし、実際に只者ではないのだろうなという説得力があった。細かい点は忘れてしまったが、女性の髪型が『ハウルの動く城』のソフィの髪型と同じだった。素敵だった。
外苑前という地の利があったことは差し引いても、今こうしていてもその出で立ちというか雰囲気を思い出せるほどにはお洒落だった。人生を楽しんだではなくこれからの人生を楽しむという無言の意思表明が感じられた。振り返るようなことがあったとしてもごく軽やかに振り向くのだろう。
連載再開に備えてハンターハンター36巻を買って読む。
ハンターハンターが一番面白い漫画だと思うが、新刊にコンスタントに触れられないのだけが玉に瑕だ。
鎌倉殿の13人を見る。実朝に感情移入したせいでこれまでより見るのがつらくなった。
歴史物には泣かせる演出で飾り付けられていたとしてもとくに抵抗なく受け入れられる稀有なキャラクターがいるものだが、実朝はその位置に殿堂入りしている。ちょっと擦られすぎたと感じる感性が働くまえに見る側の新陳代謝が先に起こるのが歴史物の定めなのだろうから安泰だと思う。どのパターンでも結局は儚く散ってしまうわけだし。
ハンターハンターのために日付変更と同時に本誌の電子版を購入して読む。オンリーワンといえる漫画の独立峰はいくつか挙げられるが、ナンバーワンはハンターハンターだ。
そしてナンバーワン不在がまた一年続いている。

今日
久しぶりに読んだ源氏物語は「澪標」の回。六条御息所が亡くなった。昔古文の授業でちょっ見た『あさきゆめみし』の劇画調少女漫画のタッチの影響もあって、六条御息所はとんでもない人だという印象があったのだが、彼女は自身の死に際には穏当で理にかなったお願いを光君にしていて、彼女にしても結局、恋やあこがれに狂わされた側なんだということがはっきりした。光君は尚侍朧月夜とのチャンスをいまだに伺っているという描写もあり、あれほど痛い目をみても全然懲りない肝の太さを垣間見る感じで、愚かと思うよりも感心してしまった。あれほど大事にすると言っている紫の女君にたいしても浮気を隠そうともせず、一貫してせこせこしていない。変に気を回して人の気持ちを考えたりしていないだけなのだが、それができるのは徳の高さか身分の高さなのだと思う。ただ、何かといえばすぐ「外聞がわるい」などと言い出すので前者2:後者8ぐらいの割合だろう。しかしこの2があるだけでもめずらしくて貴重なのかもしれない。
なんでも好き勝手好き放題できる身の上で、他者に関連する自分の悩みを正当に悩めるというのは立派なことのようだし、当然そうなることのようだし、ちょっと判断が難しい。しかし一番遠いところに行こうとして最短距離を走るということをしていないのを見ると、後世の読者に感情移入される余地は十分残しているように思う。ある種の狂人でしたで済まされるキャラクターよりも長持ちするのではないか。長持ちしたところでそこで醸成された感慨が伝播することはほぼないだろうから、やはり目につきやすくしかも特異なポジションについた狂人が輝き続けるのだろう。彼らにしても最終的に死ぬという心和ませる特徴を有しているわけだし、決定的に嫌われるということはないはずだ。

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