20220922

日記36

過日
チームラボを見るため豊洲に行った。美術館のようなアトラクションで、小さい頃にデパート屋上のボールプールに喜んで放り込まれ、飽きることなく遊びまくったのを思い出した。
やっぱり最初の水の衝撃が一番すごくてそれ以降はふんふんという感じ。テンションが上がっている人たちをところどころで見るのが面白かった。あとはでっかいボールを押すことで発生する意図するのと意図せざるのとが半々ぐらいずつ分有されたコミュニケーション。

新しい勤務先が豊洲になった。業務用PCを受け取りに初日だけ出社。2日在宅勤務をしてすぐ連休入り。半年のブランクにとって慣らし運転にもってこいの一週間だった。それにしても前回の連休につづき、今回の連休にもべつの台風が来るということで呆れる。夏休み中の大学生じゃあるまいしカレンダーを見て動いてほしい。
ここには都合二ヶ月しかいなかったので一年後の今はもうとっくに退社して、一緒に働いていろいろ教えてくれた人の名前も顔も思い出せない。このときに支給されたPCはべつの誰かが使っているのだろうが、その人は一体どんな人なんだろう。しかし、貸与されるPCは場所を移るごとにボロっちくなっている。

源氏物語は若紫を読み終えたところ。つまらない揶揄などしたくないが、光源氏は恋の憂さをべつの恋で晴らそうとする。あくまで自然にそうなるんだろうとは思うが、やっぱり「なんで?」と疑問を抱いてしまう。自分が純愛イデオロギーに肩まで浸かっていることを思い知らされる。価値観のちがいは大きいが、置かれた状況には共通点もある。身の回りに血生臭さがなく平和だということ。彼らはとても条件の良い環境に置かれているが、環境からもたらされる特有の心情を余さず表現しようとしている。享受したものについて表現したいという欲求がある。その欲求は虚構世界ということを抜きにしても自然に思える。
この考え方はずっと変わらない。三つ子の魂百までと言うが、そこまで極端ではないにしても、思春期の恋愛経験はその後の恋愛観のかなり多くを規定するにちがいない。まだ恋愛なんかしなかったケースのほうが、のちのち凝り固まった考えにならないで済むのだと思う。べつにそうだったら良かったとは思わないし、何だったらこれで良い、これじゃないと駄目だと思う。こういうふうに言うと強がりめくような気がするのはやっぱり僻みなんだろうか。

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