10日間の療養明け。10日間ぐらいは余裕だろうと思ったし事実余裕だったのだが、それはそれとして電車に乗って外出するのはやっぱり楽しい。雨に降られるのも苦にならず。
恵比寿に行った。
気に入っているパンツのブランドの直営店に試着をしに行く。ワイドとスタンダードのシルエットでそれぞれ46と48のサイズを履いてみた。パンツだけちゃんとしたものを履いて上はTシャツ一枚でも決まるというコンセプトのブランドで、下北沢の古着屋でたまたま見つけたコーデュロイ地のパンツが最高に格好良く、買って以降ずっと気に入って履いているので勇気を出して直営店に行ってみた。金さえあれば試着した二本とも持って帰りたかった。隣の眼鏡屋で気になるサングラスをかけてみる。六角形のレンズの形と理想的なハーフリムがこれまた購買欲をそそった。もとのイメージはIVのドックなので茶色がかったレンズを考えていたが、かけてみると自分にはグレーが似合うということがわかった。場の力に当てられて舞い上がっていただけの気もするし、何より値段が値段なのでもちろん即決などできず、力なく「一旦持ち帰ります」と店員に述べて店をあとにした。
NEATというブランド。この後、別の機会にここのパンツを衝動買いする。格好いいが難しい色を買ってしまい、これまでのところ全然着られていない。いつか履くぞとスタンバイの気分が続いているので、それはそれで甲斐がないとは一概に言えないが。
どういう思考回路か上記の腹いせに髪の毛を金色にした。オーダーがうまくいき前回の金髪よりも明るい金になったので達成感がある。達成といってもイスの上に座ってされるがままになったり一定時間を待ち呆けたりしただけなのだが。金髪にすると手軽に気分が変わって良いという知見をほとんど前回感じたままに更新することができた。金髪にするのは、黒髪に戻すときにもまた気分が変わるので、二度おいしい。キューティクルを気にしない人にはおすすめのライフハックだ。自分は人工でないパーマがかかっている髪質なのでキューティクルなど始めから気にしない。
調べて吉祥寺のお店に行った。金髪にするというのは、髪型に関してこだわりがない(しっくりくる髪型を見つけられていない)自分にとってはとてもラクでしかも気分転換にかなり効果のある変更なので今後も折を見てやっていきたい。とは思うものの、最初にやったときの爽快感は目減りしていく気がするし、頃合いを見てやるというのが大事になってくる。
久しぶりにスタバに来てトーマス・ベルンハルト『破滅者』の続きを読む。真面目な小説なんだろうと思うけど、3分の1できたところの印象では、真剣で殺伐としすぎておりイマイチ乗れない。田舎暮らしは馬鹿になるという記述はあからさまで良かった。逆に人生なんて最低だと述懐するところなどは安易でつまらない、と私は思った。
トーマス・ベルンハルトはこのとき気分じゃなかった。ただしそんな気分は二度とやってこない気もする。
夜、日本酒のワンコインバーで飲む。つねに好きなもののランキングを更新していったほうがいいのではないかというような話をする。かつての活き活きした感受性を硬直した化石のように取り扱うのは、それ自体も趣味嗜好の領域であるとはいえ、倒錯的なスタンスであるとの認識でいたほうが後々そんなつもりじゃなかったという事態を避けられるのではないか。「俺はこれでいく」とドグマ的決め打ちをして逃げ切るにしても道のりはまだまだあるし途中で息切れを起こすのは火を見るより明らかだ。遅れて気づいたとき、何かを発掘するための気力が残っていない可能性は高い。それで言うとすでに手遅れの可能性さえある。もう終了でいいですと思っている場合、諦めたらそこで試合終了ですよといっても決め台詞にならない。北斗神拳の達人が言うあの台詞のほうが状況に適合する。
昔好きだったものが今はもう好きじゃないと正直に言うことは、好きなものを見つけていくために必要な手続きなのではないかというのがここでの主張だった。あとは、好きさの度合い・好きという感情の大きさが往時より低減していることを認めざるを得ないということ。それから、今の感情エネルギーを使って好きになれるものこそ今の自分にとって好きなものなんだと認めるほうが真っ当なのではないか。真っ当である必要もないけど、マストではないからこそそこを目指すという目も出てくるのではないか、ということも言いたかったのだと思う。わりと攻撃的な言い方だが。