昨日
『ゲルハルト・リヒター 絵画論/写真論』を寝る前に読んでいたら朝になってしまい結局寝たのが6時になったせいで起床が12時になる。自動起動するルンバに起こされた。
我が家ではルンバを平日13時に自動起動するようセットしている。これで床に邪魔な荷物を置いていなければ、外出しているあいだにルンバが勝手に部屋を綺麗に掃除してくれるという寸法だ。床に邪魔な荷物を置いていた場合、ルンバはそれを巻き込み、ずたずたに引き裂きたいという凶暴な願望を半ばにして床の途中でくたばっていることになる。彼にiPhoneの充電ケーブルを引き千切られるというのはルンバあるあるだろう。
じつは最近ルンバの稼働率は低い。部屋に何かしらルンバの掃除を邪魔する布(おもに衣類)が転がっているからだ。かわいそうなルンバ。小汚くなっていく部屋の床。
セブンで400gヨーグルトと冷凍ブルーベリーを買ってブルーベリーヨーグルトにして食べる。
何かを知って感動を覚えるとすぐそれをリピートする。2,3回リピートしてそのあいだにそれを継続する必然性を見つけられなかったら飽きて止めてしまう。
ハマっているというのを理由にしていちいち判断しなくていい時期があるとその分ラクになるだけの話ではないのか。だけではないにせよ、好きなものに手を出すというのを度外視すれば潜在的な理由として第一位だ。
鎌倉殿の13人を見る。OPで巴御前が出てくることに気がつき興奮したが、実際良い活躍をした。何がどういう結果を招くかわからないというのはあるにしても、やっぱりその時々の良いはある。
その時々の良いというのは巴御前が義仲から遠く引き離されて和田へ行くことになる顛末のことだ。義仲といるときにも良かったし、和田といるときも良かった。反発するにせよ恭順するにせよ、その時々に決めた方向に一心に進む性質がそれを可能にするということだと思う。不満を抱えながらということをできない一本気な性格が幸いしているのだろう。それが幸いするということ自体、当時の社会ではとくに、幸運なことだと思うが、気の強さを押して良い目が出るというのは見ていて清々する。
十三人ももう二年前になるのか。いろいろとテレビドラマがやっていて話題になる。いちいち追いかけていられないが、追いかけていたとすればきりがないだろうと思う。それでいいならこれ以上はないという理想的環境だ。
久しぶりに酒を飲む。一週間以上飲まないで過ごしたのは何年ぶりかわからない。東京へ来てからはそんな一週間はなかったと思うので少なくとも5年ぶりにはなる。昔ほど酒を必要とする場面はないなんてことはすこし考えればわかるのだけど習慣でほとんど毎日ペースで飲み続けていた。昔は緩める必要が十分あったと思うが、今はもうその必要はなくなっていると思う
飲酒習慣をやめるというのは難しい気がする。生活の実験と称して何でもやってみるというスタンスはあるけれど、こればっかりはやれない、やってみようとも思えない。
酒を飲まない日と飲む日の割合は仕事のない日とある日の割合と比べても遜色ない。少なくとも5/7は飲んでいる。五月七日は飲んでいる、ではない。
ついでにカフェインも止めてみている。恐れていた好転反応は結局そこまでひどいものにはならず、想像よりずっと穏当にカフェインを抜くことができた(バファリンAを合計で6錠しか飲んでいない)。ヤクルト1000を飲んだ日に深い睡眠の時間が増えているのと同じかそれ以上に深い睡眠の時間が増えている。頭を働かせる効果について机に向かう時間はガムを噛むことにした。
一方、カフェイン断ちについては一年経った今でも継続している。完全なカフェイン断ちから、今は緩やかなカフェインの摂取というところに落ち着いているが、昔は24時間以上カフェインが切れると頭痛がしていたことを考えると、いつ止めても問題ない状況にあるので、これはカフェイン断ちの成功と言っても良いだろう。いつかアルコールも止められる日が来るだろうか。
できるだけ抑えようと思っているが、やはり慣れと出勤習慣ですこしずつカフェイン摂取量が増えてきている。今は午後の紅茶無糖とスタバのショートドリップ相当のカフェイン量で安定している。職場でシャッキリするのと、スタバにきてMACを開いたり本を開いてシャッキリするのが必要なので妥当なところだと思っている。