音楽について、座って何かするときのBGMはショパンと決まっている。それ以外の音楽は散歩しながら聴くことが多い。
ダンスナンバーならぬウォークナンバーとして最近よく聴いているのは『REFLECTION』、tofubeatsの最新アルバムだ。ついこのあいだリリースされたばかりだが、この一週間、散歩中にずっと聴いている。
だからといってtofubeatsのファンというわけではない。tofubeatsは距離を感じさせる音楽家で、スマホのプレーヤーへの登場回数は少なくないにもかかわらずファンになれない。音楽に求めるものがそこまで多くないから探索範囲がかなり限定されていることでいわば消去法で選ばれているにすぎない。これからもライブに行こうとは思わないだろうし、もしそれと知らずに入ったクラブでゲストDJをやっていたとしてもフロアを移動して聴きに行ったりしないだろう。
それでもしばらくは散歩時に聞くと思う。インタビュー記事も読んでみたら面白かった。
GooglePlayMusicでランダムに音楽を再生すると、スキップが必要になる曲に当たることがわりとある。散歩のとき音楽に気を取られたくない。いちいちスキップ動作をするためにポケットからスマホを取り出したくない。ただでさえ面倒なのに缶で片手が塞がっているのだから余計邪魔くさい。tofubeatsの『REFLECTION』を選んでおけばそういうことが起こらない。
ド頭の『Mirror』という曲で、「OKです」とアナウンスが入る。初めて聴いたとき、女声のそれが「大崎です」に聞こえた。大崎といえば山手線の駅で、たまに終着駅になることがある。渋谷から品川に行くとき、大崎止まりの電車に乗ってしまうと大崎駅で乗り換えなければならない。急いでいるときだと心のなかで舌打ちが出るほど辛く苦しく情けないが、とくに急いでいないときだと、日々繰り返すループの終端に思いがけなく触れたような気がして悪くない。なお、大崎駅前にはタワーマンションが林立している。ほかに何もないが綺麗に整備された区画だ。設備の規模に比して行き交う人が少ないため、すこし寂しいような気分が味わえる。エモーショナルな要素が何もないところにかえって、などと言うとたちまち「侘び・寂び」の圏域に入るようだが、あの垂直線についてはあれで十分エモーショナルだとする意見も当然あるだろう。その場合は順当にエモいことになる。だがいずれにしても限られた時間帯の話であって、いついかなる時でも、という話ではまったくない。
最近読んでいる小説で、これはと思って付箋を貼った箇所に「鏡」についての言及があった。
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天才的な作品を生み出す人びとがもっとも洗練された環境で暮らしているわけではないし、とくに際立つ会話能力を発揮したり、この上なく広い教養を備えたりしているわけでもない。彼らは突然のように自らのために生きることをやめ、自分の人格を鏡と似たものにする力を持った人びとである。
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プルースト『失われた時を求めて 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」』
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鏡と云う道具は平 らに出来て、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。
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夏目漱石『草枕』
他にも「鏡」について何か面白いことが書いてあったのを見たような気がするが今は思い出せない。