GCPの[Networking in the Google Cloud]を完了。
Googleの用意してくれた研修コースをたらたら進めるということは二年経った今でもやっている。それがどれだけ役に立つことなのかというのをあまり考えずにやっているような気がして、それに気がついたときというかそういう気がし始めたタイミングでいつも中断する。始めるときにあまりハードルを上げずに適当に始めることの弊害だといえるが、それを加味しても何かを始めるということのハードルは下げられるだけ下げて、とにかくやってみるということのメリットの大きさにはかなわないに決まっている。
ジムで1000メートル泳ぐ。腕を回すリズムをいつもより早めてみたらスピードがすこし上がって50メートルを泳ぐのがラクになった。
泳ぐのは面白い。スローペースで遠くまでという泳ぎ方とハイペースでスプリントのような泳ぎ方で全然ちがう体験になる。その差が陸上よりもはっきり現れるという気がする。
なんとなく毎日続けている草枕の音読、今日で〈三〉までの進捗(2周目)。文字を目で追いかけるのに必死で余裕が出ない。ただ、音読はまだ全然慣れていないのに読み終わった感がある。べつのを読みたい。
この頃はGCPの勉強だけをやっていた。でも結局、クラウド系の資格は取らなかった。
最初1000メートルを泳ぐというのは途方も無いことだった。でも泳いでいるうちに慣れてきて1000メートルは泳げるようになってきた。
草枕の音読は面白かったし、音読は引っ越ししてもしばらくやっていたのにいつの間にかやめてしまった。やっぱり働き始めると余計な時間がなくなっていくから良くない。余計なよしなしごとに手をつける機会はどうしても減ってしまう。
ただ当時は当時で、日記に書くようなこともとくになく、MACの前に座って何を書こうかとぼんやりする時間が多くなっていたのはたしかで、気持ちがだらだらして日記などを書く気がしないというのはあった。今は忙しいから忙しい気持ちでキーボードを打つし、そのついでに何ごとかを書きつけようとする気は起こる。
声を出すということを身に着けようとして、好きなテキストを声に出して読むということを始めたのだった。これは映画『ドライブ・マイ・カー』の影響で、ひとりで始められることについては悩むまでもなくひとりで始めればいいと思って始めたのだった。その延長線上に演劇祭への参加があったり、暇さえあれば面白いことはいくらでも始められる。そういう環境に自分を置いていることは明確に利点なので、これからもそれを十二分に活かしていきたい。