20220411

日記3〜5

自分が書いた一年前の日記にコメントするときに赤を使うのはセオリーだと思われる。どこで見つけたセオリーなのか来歴不明でありながら内的にセオリーとしての存在感をもつセオリーがあり、そのセオリーの根拠はそれがセオリーだということのみにある、そんな種類のセオリーがある。これもそれに類するようなセオリーなのだが、来歴はついさっき述べた通り不明である。ただただセオリー然としたセオリー。それを擬・セオリーと呼ぶようなことを自分はやらない。

自分が書いた二年前の日記および一年前のコメントにたいしてコメントするときには青を使うのがセオリーだ。


4月4日〜4月6日

三日間、青春18切符を使って東北に行くことだけを決めたアバウトな旅をした。

たしか前夜に飲んでいて、その場の勢いだけで決まった旅行だった。

前夜には吉祥寺で飲んでいた。当時私は華の無職でこのときにはまだ吉祥寺に住んでいた。


初日の4日は雨で、しかも肝心の青春18切符を入手するところから始めなくてはならず、吉祥寺・新宿の金券ショップそれぞれでチャレンジするも素気なく「ありません」と言われる始末。前夜に酔いにまかせて「行こう/そうしよう」で決めた旅が早速頓挫とあってはせっかくの早起きも無駄になりかねないと不安に思っていたのだが、旅の相方がもう一軒べつの新宿金券ショップで5回綴りと1回残しを入手したとのことでめでたく出発となる。

交通手段の切符が手に入るかどうか不明で、出発できるかどうか不明確だったし、いろんな可能性がこの時点ではあったと思うが、出発できるのに出発しないという選択肢だけは気分的にあり得なかった。

やっぱやめておこうと言わなかったのはえらかった。いま同じ条件に置かれたとしたら、やめておくという賢明な判断をすることだろう。そもそも旅をしようという発案もなければ、そうしようという同意もないことだろう。時間は一方向にすすんでいく。


ラッキーだったと我々自身が持つ幸運のパワーを頼もしく思い、湘南新宿ラインが都心から結構なスピードで離れていくうちにも雨は止む気配すら見せず、どうもテンションが上り切らない旅路となる。もともとのコンセプトは「一人旅をふたりでする」だったので、はしゃがない旅は想定していたとおりなのだが、行けるか行けないかという緊張を強いる問いから良い目が出たものだからついはしゃいでしまい、はしゃいだものだからその後のテンションの低下を意識してしまうことになった。降り続く雨にズボンの裾を濡らされながら宇都宮駅前をうろちょろし、なんとなく決めた店で餃子を食べる。餃子には店独自の工夫があったものの味自体はまあこんなもんかという味。

これから旅行するんだという気負いがあったものと思われる。無聊をかこつようなスタンスを取ることにかまけて、空元気ならぬ空アンニュイを各々発揮したということか。まあ前日の酒と無理な早起きによる寝不足が原因とみて間違いない。橋のところまで歩くも雨のため渡るのは断念し、駅前の餃子店で妥協した。

だらだら進んでいく感じはなかなかよかった。


宇都宮を出てからの旅路は電車の本数が激減することで乗車時間をつよく意識した緊張感あるものになった。途中の乗換駅にもパッとする駅はなかった。唯一黒磯の駅前には若干目を瞠る図書館があったのにもかかわらず月曜休館で内部を確認することができなかった。

図書館前駅という駅名ではなかったが、そう名付けるのが妥当な駅だった。雨がなければもうすこし歩いて何かを探そうという気にもなっただろうので、やはり天気が残念だった。

雨の旅行は記憶のなかで美化されるということがない代わりに、いつまでも薄暗い景色の記憶として残っていくような気がする。まあまだ二年目なのでそう思うだけかもしれない。


出発時間からすると妥当ではあるのだが、仙台につく頃にはすっかり暗くなっていた。雨はやっぱり降り続けていたので、仙台駅から公園近くのホテルまで不承不承歩く。ホテルに着くまでの途中に良さそうな雰囲気の居酒屋があったのでそこで飲むことに決める。本当は行きたかったおすすめの店があったのだがこれも月曜定休で断念。そこそこ良い店だったが最近東京にできたチェーン展開の店だということに気がついてしまい、残念な思いをする。リベンジにとこれは東京にはないという安い店を見つけたので飛び込んだところ、ひどい目に会う。看板に偽りがない料金だったのにもかかわらずぼったくられたような気分になる。知らない安い店でしかも地階にあるようなところには足を踏み入れてはいけないという教訓を得た。

なぜこれを書いていないのか謎なのだが、仙台駅のPARCO的な建物で連れがパンチラを目撃したことを報告してきた。パンチラごときではしゃぐような旅でもなし、それを見ようと意識したわけでもなかろうから余計にそのちょっとした幸運が引き立ち、むやみに羨ましがったのも我ながら浅ましかった。何も得ず羨望するだけ羨望して結果情けない気持ちになるという、ちょっとしたこと史上でもかなり上位に食い込む最低な出来事だった。当時は悔しすぎて書けなかったのかもしれない。見れてみっともないならまだしも見れてないのにみっともないし。

パンチラを無邪気に喜ぶなんて、そういう時代だったんだねと振り返る時代がくるのだろうか。なんとなくもうすぐ来そうだ。


2日目は仙台スタートで気仙沼に向かう。気仙沼線が途中からバスになっているのだが、もともとは電車だったことからこのバスは専用線を持つなど電車扱いされており、青春18切符でも乗車可能だった。南気仙沼で降車し市場まで歩く。市場で海鮮丼とシャークナゲットの昼食。その後港湾沿いを浮見堂まで歩く。おしゃれなカフェでのコーヒーブレイク。私はハンドドリップのコーヒーだけの注文だったのだが、道連れが注文したチーズケーキにはふんだんにいちごソースがかかっておりとても美味しそうだった。

NHKの朝ドラの撮影風景などの展示があって写真を撮ったりした。ふたりともその朝ドラを見ていないにもかかわらず撮影にはノリノリで、誰がどう見ても聖地巡礼のようだった。空いていたけど人がいないというわけではなく、ガチのファンだったのかわからないがまばらに人がいた。

気仙沼に来たのはたぶん初めてだったが、何度か来たような錯覚をおぼえた。東北のことをかなり広域にぼんやり捉えているフシがある。


さらに気仙沼駅まで街歩き気分で歩いて、行きとは別経路の一ノ関経由で仙台に帰る。この日も仙台泊にしたのは昨日行けなかったおすすめの店に行くため。これが大当たりで、この旅の一番のハイライトはこの店での料理が美味しかったことだった。美味しい魚が美味しく料理されればその美味しさは足し算では間に合わないということを知った。

仙台の居酒屋は思い出しても感動できるくらいとても美味しかったのだが、みちのくをもっと奥へと進んでいかないという決断をしたのもあってやや過剰に大当たりと書いているようにもみえる。東北への旅ははじめてではなかったので余裕を持って構えすぎたようにも感じられる。もっと無軌道な、あるいは中途半端な東北行にしてもよかったかもしれない。

残念と思いつつ無理はしたくないという気持ちもあって仙台に留まった。仙台に厚く滞在できたので無しではなかったものの、猪突猛進しなかったことが印象に残った。べつに普段からそんなタイプではないので、ただ旅に浮かれていて、しかも浮かれきっていないってだけの話だ。


二軒目の焼き鳥屋ではオールドスクールな人々が飲んでいた。それなりに美味しかったものの、特筆すべき味ではなく、いかにも昔気質っぽい雰囲気でごまかしているように感じられた。お腹いっぱいの状態で入ったのもよくなかったのかもしれない。

よそ者に対して閉鎖的な田舎者丸出しのお婆さんが焼き鳥を焼いていて仙台でなければ田舎風景として処理できたのになまじ仙台だったから辟易した。クレジットカード会社の飲み会の二次会だかに出くわし、週3でジムに通っていそうな活動的なおじさんが励ますような握手をしてくれたりして全体的にげんなりする酒だった。

仙台のイメージがこういうところから染み付いていくと思うとそれなりに罪作りな焼き鳥屋だ。思い出すだに鬱陶しい。若い女の子は愛想が良くて、すこし話しただけで楽しい気持ちになれていたはずなのにそこに言及がないのはちょっと残念だ。


最後に夜の仙台を徘徊した。真っ暗な公園で魯迅先生の銅像にご挨拶される。橋を渡り、花見会場設営を横目に国分町のホテルに戻った。

この夜はこれがいちばん良かった。帰り際に週末開催の花見のイベント設営をしているのを眺めたりして春らしさを一番感じた。

暗くて何がでてくるのかわからない怖さが公園付近にはあり、駅に近づいていく大通りの明るさが心強かった。何を話したのかおぼえていないが、どうせろくでもないことかしょうもないことだろう。たしか安くて普通の味の、ちょっと臭い地下の飲み屋に立ち寄った気がする。ちまきを食ったあとホテルにまっすぐ帰るのが正解だった。


3日目は午前中の日がある状態の仙台を歩いてから駅前で買ったずんだシェイクを片手に乗車。郡山駅と宇都宮駅、それから大宮駅で飯のため途中下車した以外はとくになにもせず、感触としてはあっという間に東京に戻ってきた。東北に行くことだけが決まっていた旅だったので松尾にならって俳句でも作ろうかと思ったが、2日目と3日目にはメモを開くことすらしない体たらくで結局よっつしかできなかった。写真も俳句もとにかく数撮ったり作ったりしてその中からいくつか拾うのがいいと思っているのだが、全部でよっつだったら拾うもなにもない。

体力的にも余力を残し、帰りの電車移動はただの移動という感じだったのは良くなかった。大宮で電車一駅分だけ参道を歩いたのは春らしさがあって良かった。公園では夜桜を楽しむグループがちらほら見受けられた。

大宮駅はこの後二回ほど行った。


北へ行く電車にあたる春の雨

曇り空に指折り数える桜の木

二本松安達松川金谷川

桜散る前へ返らじみちのく路

旅を振り返る肩越しにみえる春

春ときて桜と咲いて朝となる


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