あ然
2026/03/08 昨日 20378
スタバを出たあと豚とんで小らーめんを食べてから初台に向かう。目当ての展示は、予想に反して人ばっかり多く内容が乏しかった。コンセプトは面白いのだが、インタラクティブから得られるフィードバックが物足りない。あまりインタラクティブとか言わないほうがいいのではないかと思った。期待度が上がってしまうだけでもはやそんなに引きもないんだろうし。こっちから迎えに行こうにも数・量ともに少ないから圧倒される感じがない。そういう意味でTHE・日本の展示という感じだった。笑っちゃうところまでいかない。3つあるなかでは複数のカメラを使ってリアルタイムと過去の映像を混ぜて複眼的に出力する作品『欲望のコード』がもっとも面白かった。でも3つは少ない。残り2,3は予約が必要で体験できなかった。無響室には一度入ったことがあるが、そのときは音楽を鳴らされた。本当は音楽なしで体験したかったので今回のに参加したかった。
初台からつつじヶ丘まで移動する。そこからバスに乗り換えて調布総合体育館へ。18時から20時45分までといつもより1時間長いプレータイムだった。ゆるくて好き放題できることのよさがこのバスケの集まりにはある。それでもドライブを仕掛けないしスリーも失敗した1本だけしか狙わないし、フォローのためにコートを走ったり、リバウンドで貢献しようとしたり、自分にできるプレーに終止していた。もっとマインドを勝手気ままにチューニングしないと、これでは「楽しい」のにも限界がある。わりといつもいるハンドリングもポジション取りもプレー選択の早さ・正答率も段違いのプレーヤーといっしょにプレーできるのは楽しい。あとこの日は上手い女子ふたり組がいた。ふたりともバスケが似合うチャーミングさを具備しているうえに動作が美しい。走る速さも速く、あまりのスピードに思わず笑うなどして愉快だった。終わってからは西原というバス停まで歩き、バスで調布駅まで。京王線の特急に乗って明大前乗り換え、下北沢まで。直前に走り去った吉祥寺行きのバスを逃したのが痛かった。ローソンで200円引きで買ったデミハンバーグ弁当を食べる。翌朝が早いのですぐシャワーを浴びてすぐ寝るよう努める。有明のタワマンで遊んできたという家人が帰って来るも寝るのに忙しく構いつけず。
2026/03/09 今日 5400
6時40分に家を出る必要があるのになぜか挑戦しようという気になり、ぎりぎりまで寝ようと6時25分にアラームをセットした。結果、準備には最低20分かかるということを知った。残りの5分を挽回するために家から下北沢の駅まで走る。二日連続バスケの足疲労に鞭打つかたちになってしまったが、乗るべき電車には間に合った。井の頭線、山手線、新幹線、近鉄線と乗り継いで鵜方駅まで行く。移動距離・時間ともに立派な旅だ。それなのにあって然るべき気持ちの高揚がない。いつの間にか新幹線に乗り慣れたのか、伊勢志摩がまったく初めて行く場所ではないからか、理由を考えようとするのだがどれもそれらしくない。考えているうちに「ここにいる」という感覚がうすいからだということになんとなく思い至った。昔はもっとここにいるという感覚が強かった。いつもいる場所にもそこから抜け出せない気がして縛られているという感じがあったし、その反動で、日常とはちがう場所に行くと解放感から自動的に高揚したものだった。今はいつでもどこにでも行ける気がしている代わりに、いつどこに行っても感動がないどころか感想もない。来たんだからここにいる、そりゃそうだよなと思うだけだ。ここにいるということは考えてみると異常なことなんだが、それにしかるべき異常さを感じ取れていない。当たり前のようにしてここにいることの恐ろしさとつまらなさを思うと、もっと揺さぶってやりたいとも思うのだが、そうすること自体が何か、どこかに見せるためのポーズのようで作為的な営みに感じられる。作為的だろうがなんだろうが、恐怖や退屈に立ち向かうためにそれが必要なのだったら強いてでも敢えてでもとにかくそれをやれというだけのはずなんだが。それならそれでべつにいいじゃん、と。もう敵の力量を過大に見積もるつもりはないよとえらそうなことを抜かしやがる。そうすると一旦は口をもごつかせつつ、中年らしく「だったらいいけど?」とも思う。肩に力が入っていない。それは良くなったことに数えられるだろう。しかし困ったことには、もう結構どこにも力が入らない。眉根も寄らず、それが困ったことだと感じるセンサーもぶっ壊れている様子だ。
タクシーで場所に行き、ただそこに居るだけの用事と大小合わせて都合4回の用便を済ませて、タクシーで駅前まで帰る。駅前のホテルにチェックインし、荷物を置いて夕飯を食べに店に入ろうかと思ったが、このまま酒を入れると何もしないで一日終わることになるので、コンビニで氷結無糖塩グレープフルーツとコーヒーと水とスイーツを買ってホテルに戻る。部屋で日記を書く。小説はエディタを開くだけ開いて進捗はなかった。
なんか最近「楽しい」とか「楽しむ」とか言い過ぎている気がする。大学の頃、深夜の鴨川を歩きくだりながら友人が「楽しいなあ」を乱発するのを冷ややかに見ていたのに、いつの間にか自分が同じことをしている、ということを多分また書いている。当時の自分曰く、本当に楽しいときには楽しいとは言わないし、楽しいとも思わない。それは真実だったが、びっくりするぐらいあっという間に過ぎ去っていってしまった。あれらの出来事は全部、遠くになって、今振り返ってももう現実感がない。あのとき友人は楽しいということが真率であってくれるようにと祈るように口にしていたのだと思うが、自分はこの瞬間を引き止めたくて祈るような気持ちで口にしているところがある。どちらも馬鹿馬鹿しいことだ。馬鹿馬鹿しいうえにちょっとかわいそうという、一番閉口するラインだ。過去を訪ねられるものなら訪ねたい。