20251130

日記682

廃墟然

2025/11/29 昨日 7118+
21時前にまでスタバにいたあとダイエーに寄ってキャベツなどを買って帰る。帰宅してから家人が作ってくれたお好み焼きを食べる。33のやつのゲーム実況をすこし見て、『天』を読んでから寝る。金曜から夜ふかしになってしまっていてこの日も2時前に就寝。


2025/11/30 今日 3875
10時すぎに起床。前日に買ってきていたPascoのしっとりくるみ蒸しパンを朝食にコーヒーを飲む。前日から高輪GWでメルカリの物々交換のポップアップに行こうかと考えていたのだが、下北周辺に住んでいてわざわざ時間をかけて別の地域に古着を見に行くというのも訳が分からないなと思いなおした。そのまま家で読書してもよかったのだがいい天気だし一張羅も着れるときにたくさん着たいからということで出かけることにする。ひさしぶりにリザーブのほうのスタバに行ってアイスティーを飲みながら『理由と人格』を読む。満席だったがやはりこちらのほうがゆったりできるので休日にはこちらを使うのも気分転換になっていいかもしれない。14時前にスタバを出て下北の街の方へ歩く。古着屋をちょっとだけ覗き、どこかお店で昼ごはんを食べることにする。どの店にしようか迷ったが、ピザが食べたくなったのでTHE Pizzaのピザを2切れ買って帰ることに。ピザを食べながらJリーグの鹿島アントラーズv東京ヴェルディの試合を見る。前半15分以降ずっと東京Vが試合巧者だったが、終わってみれば絶対に勝ち点3を得たい鹿島が勝利を手にしていた。最終節にどういう展開が待っているのか見えないのでわくわくする。当事者だったらその比ではないだけのドキドキがあるだろう。試合後バスケのために高円寺に行くまでの1時間ちょっとを『天』を読んで過ごす。日記を書く。



20251129

日記681

反復のよろこび

2025/11/27 一昨日 16713
午前在宅にして午後から出社。狛江のバスケにそなえてバスケ準備一式を詰めたボストンバッグと仕事の端末等を入れたリュックの鞄二個持ちで出勤する。出社してからはやるべきタスクをこなしつつ定例のミーティングに参加して、依頼事も依頼してと申し分のない働き(当人比)をして定時すぎに退社する。新宿経由で直接狛江に向かってバスケの開始時間ちょうどになった。シニアプレーヤーの方から滑り止めスプレーを使わせてもらったが、冬場の乾燥にこれはかなり効果的だと思った。あとでAmazonで確認しておこうと思いつついままで忘れていた。あとでAmazonで確認しておこう。この日のプレーは脱力を意識し、できるかぎり奔放なプレーになるように調節した。そのおかげで最初の試合から飛ばせる感覚があったが、奔放とはいえ、いや奔放なだけに動き回ることが基本になるので心肺への負担が大きく良い感じが続かなかった。しかしこうやって普段の意識付け等々から意図的に解放される日を設けるのは大事なことだ。セルフハンディキャッピングではないが、ちょっとうっかりすると自分のプレースタイルの枠を決めてその範囲内でプレーしようとするので、こうやって枠を壊しながら枠を広げていくようにしないと甲斐がない。たとえば各種の練習もうまくなりたいと思ってやるものだが、その道を一本道のように想定してとにかく経験値を得ようとするRPG的なやり方は、じつは途中からはアンリアルなフィクションになったりする。負荷を与えるのはたしかに重要だが、負荷のかかっているなかで「リズムや感覚を掴んでいく」というのがあくまでも主眼であると理解することだ。気持ちよくプレーすることでそのときの感覚を研ぐのと、気持ちよくプレーできない障害に対応することはおそらく両輪で、片方に注力してバランスを失うと上達が見込めない。前者に傾注していざというときに力を出せないのと、後者に傾注して全体のパフォーマンスが下がっていくのと、どちらも避けるべき事態だが、楽しむという観点からは後者に対してより注意しておかなければならない。これがアマチュアバスケットボールプレーヤーとしてここ一年で学んできたことだ。楽しくないとプレーする動機そのものが失われることになるからだ。そのあたりのモチベーション維持はプロよりもシビアだ。シビアもなにもそうなれば止めればいいだけなので前提がシビアではないのだが、内燃する動機を持ってやり続けたいと思うのであれば、まあシビアといえばシビアということになる。帰宅してすこしの飯と味噌汁を食べ、プロテインを摂って寝る。


2025/11/28 昨日 10610
一日在宅勤務。昨日やるべきことを進めたのでその分の貯金がたまっており、最低限やるべきを前に進めるだけでよい安定した日になった。リハビリの日だが前回相談したスネの痛みがあまりなかったのでおかわりしておこうということで昼休みに公園まで出てシューティングをする。いい天気だったし、昨日のプレー感覚を保存しておきたいという思いもあった。肩に力を入れないやり方でのシュート感覚を反復する。帰宅して昼ご飯を食べて昼寝をする。10分のつもりが50分あまりの昼寝になってしまった。
退勤後、経堂まで出てリハビリに行く。リハビリと言っても痛めた筋肉の近辺を入念にマッサージしてもらえるというもので、苦しい辛い要素は全然ない。スネの痛みについての解消法の提案として、中臀筋が弱いようなのでその部位のトレーニング方法を教えてもらう。怪我や痛みの対策としてもそうだが、弱い箇所を鍛えることはパフォーマンスアップに直結すると思うのでやっていきたい。パーソナルトレーニングに行かなくても正しい知識を得られればそれでいい。無理に増量しようとしても不調に繋がるだけだという痛みをともなう気づきもあったことだし、とりあえずは自重トレーニング主体にして自分自身のバスケット熱をモチベーターにすればいいので、その分のお金を質の高い食事やプロテインに回せばいいと考え直した。今の自分にはそれが正しいと思われるので一旦はそれで進めてみる。
リハビリ後にスタバに行く。『理由と人格』を読む。「分裂」とかSFみたいな架空のことを言い始めたなと思ったらそのまま論を進められ、何を言っているのかわからなくなりついていけなくなってしまった。とりあえずその章(第十二章 われわれの同一性は重要なことではない。それはなぜか)の半分ぐらいまでは読んでしまう。ウルトラに行ってご飯を食べて帰ろうと思ったら店外に人が並んでいて諦めた。飯を食うために行列に並ぶことはどうしてもできない。仕方なくこの日もかつやにいく。カツ丼梅を食べたが前回のような驚くべきクオリティではなく、たまたま前回はクリティカルだっただけかと残念な再発見になった。寒さも寒いのと温存したいスニーカーを履いていたのとで歩くのも断念し電車に乗って帰宅する。気持ちがそういう気持ちになっていたのでサニーボーイの1話を見返す。流れで最終12話も見た。このアニメはやはり最高傑作だと思った。toeのラプソディがかかるタイミングとドラッグ全開の映像音楽は相当程度カッティングエッジなものだし、「光」を描写する映像作品のなかでも頭抜けた美しさがある。それが信じられる理由がそこにはあると信じられる。


2025/11/29 今日 5034+
前日に寝苦しい思いをしたので寝坊になる。『天 快男児』をキンドルで買って読み、ゲイシャグランスイートのプレミアムコーヒー豆を開けて飲む。いい意味で香りだけで味がなく、よい日本酒が水のようであるのを思わせる上品さが完全に自分好みだった。香りの種類こそ好みドンピシャではなかったが。昼ご飯を食べに下北に出る。梅窓でとり天ぶっかけ(温)の大盛りを食べる。家人がフルートと荷物を置くために一旦帰宅し、行き先を考える。結局下北で古着を見ることに決まって、RAGTAGほか古着屋を何軒かまわる。足がつかれたので途中抜けしてスタバに行く。『理由と人格』の12章を読み終える。家人をすこしだけ待たせながら溜まっていた分の日記を書いてスタバを出る。ダイエーで晩御飯を買って帰るつもり。

20251128

記述・行動

行動するというのは世界という用紙にむかって記述するということだ。

そこで暗黙のうちにつねに問われるのは”何を”記述するのかということであり、つまり行動することにはどう行動するのかを決定するということが含まれることになる。

このアナロジーとして、行動に対する芝居は、記述に対する書道(タイポグラフィー)ととらえることができる。何を記述するのかというところからある程度の自由を得て、どう記述するのかに意を砕くことができる。何を書くのかということを決めておくことで、どう書くのかに集中するのが書道でやられていることだ。それと同じように芝居では、どう行動するのか決定する自由を失う代わりに、あらかじめ決められた行動をどのように行動するのかということに意識の力点を置くことができるようになる。


***


スターバックスから外に出るための自動ドアをくぐりながら女子高校生が「永遠にいっしょにいよう」と言った。仲良し3人組で、スターバックスのシーズナルドリンクを買っていっしょに写真を撮ることが楽しくて仕方がないといった風情だ。

この3人組が20年後にも同じ3人で集まって「永遠にいっしょにいよう」と言っていたとすると、自分はそれを見てどう思うだろうかと想像した。自分の考えではその発言を断然支持すると答えたい。いまこの瞬間に夢想した20年後の映像を心に描いて、いまの彼女らがいま言ったことが、架空の20年後の彼女らと重ねられたこの場合にはそれを支持するのもたやすいことだろう。しかし、そういった過去編をもたないまま、37歳の女子3人組がスターバックスで何がそんなに嬉しいのかとにかく嬉しそうに騒がしく会話しながら、店外に出るタイミングで突拍子もなく「永遠にいっしょにいよう」と言ったとしたら、自分はそれを素敵だと思える自信がない。瞬間的に過去編を妄想し、あるいはそれぞれに深刻な事情を抱えつつようやく集まれたかつての3人組なのだろうと酌量し、素敵かもしれないと思えるようでいたいとは思うものの、虫の居所その他の理由によっては苦虫を見るような顔をしてしまうのを避けられないと思う。

そうすると「永遠にいっしょにいよう」という唐突な宣言に対してささやかな感動をおぼえた自分の感性を疑うべきなのだろうか。誰が言っていたかによって受け取り方が変わってくるような言葉に感動するというのは二重に過っている気がするのだが……。

すこし考えて、しかしそうは言っても時の花というものはあるだろうと思い直した。つまり、女子高校生が言う「永遠にいっしょにいよう」には若さへの寄りかかりからくる芝居がかりがあるとしてもそれを含めて嘘がないのにくらべて、37歳の女子たちがそれをそのまま言うのには嘘をつかないでそうするのに無理があるだろうと思うのだ。しかしこれも大きな声で言っておきたいが、だからそういうことを言うのは止せと言いたいわけではない。むしろそういうことを言うのに適した年齢があるとするなら自分の感覚では17歳よりも37歳のほうがふさわしいとさえ思う。問題は言い方にある。願いをそのまま言ってそれが本当になる時期は過ぎた。それは認めなければならないのだろう。言い方に工夫をして想いを口にする必要があり、そういった道を経るからこそ、そこに咲く花は美しいと思うのだ。

ところが、どうやって言えばいいのか、しばらく考えてみたがよい例は思い浮かばなかった。そうするとやはり「永遠にいっしょにいよう」で良いのかもしれない。これは実際「永遠に」の使い方としてもっともふさわしい、辞書に載せてもよいほどの語用であり、親しい友人に対するこれ以上ない提案ではないか。

ただ、それを意味することを言うにしてもそれぞれの言い方があると思うので、ストレートに「永遠にいっしょにいよう」と言うのはどこまでいっても”次善”になるだろう。こういうとき答えは個別にあるはずだから、個別具体的に内輪の大喜利をしていくのが”最善”なのにちがいない。

20251126

日記680

どの世

2025/11/25 昨日 6898
21時頃にスタバを出て帰宅。ご飯を食べないでカルニチンを摂りストレッチをする。その後ペダルを漕ぎながら『コートオブゴールド』を見る。バスケアメリカ代表のパリ五輪での裏側を記録したドキュメンタリーなのだが2話の締めくくりはケビン・デュラントの涙だった。やや唐突で驚かされたが、カメラを向けている人の驚きもダイレクトに伝わってきて生々しかった。バスケを通じてコミュニケーションや絆を学んだ、自分は恵まれているというKDの言葉には嘘がないように思えた。家人が帰ってきたので33のやつをすこしだけ見る。シャワーを浴びてから早めに寝る。


2025/11/26 今日 5608
この日も朝から大手町に出勤する。自分の立ち合いは不要なのではないかと思わないでもないが、アクセスしやすいのと10時までに到着すれば問題ないのとで、行かないでおくということをあえてせずに律儀に作業の立ち合いをする。前日と同じく昼には撤収し、代々木上原駅内の中華でランチ。この日は豚バラと干し野菜の蒸しをチョイス。これのボリュームと味は病みつきになる。ご飯大盛りでちょうどいい量の豚バラ肉。
下北から歩いて帰宅して定例の打ち合わせ2件に参加。問い合わせにも適当に回答。インスタだかYoutubeだかに回ってきた10分で完全回復する昼寝の方法を試してみる。たしかに10分で回復した感じはあったが、「完全」にはまだ遠かったのでもっと回復しようと5分から3分の追加時間を設けた。翌日午前の打ち合わせの内容について確認してから定時30分すぎに退勤。スタバに行く。この日も『理由と人格』を読む。昨日「第十章 われわれは自分自身を何であると信じているのか」今日「第十一章 われわれは自分たちが信じているものではない。それはいかにしてか」を読む。重要なことを考えるとだんだんと胃の不調がやってくるように感じられる。これを突き詰めると胃痛にぶち当たるのではないかと思われるが、そうすべきと思う一方で、べつに無理せずこのままでいいのではないかと尻込みする気持ちもある。小説を書くときには自分にとって重要なことを考えずには済まない。そしてそれは苦しさを伴うものだということがわかった。嫌な、やりたくない、考えるのも苦痛な思考実験を経なければならないので、適切に痛みをパージしないと保たない。内臓に手を突っ込むということ、その必要がはじめて意識されてきた。電車のなかで読んでいる『カフカの絶望名言』にアテられているのは間違いなさそうだが、カフカは関係なくそれはそういうものだという気はする。それはそれとして『カフカの絶望名言』を読んで「自分はカフカではない」としっかり認識するのは大事なことだと思った。とくに小説を書こうとしている人間にとってその誘惑は無視できないほど大きいものだと思うのだが、それを誘惑と感じつつその無理を悟っていなければならない。そのために必要なのはカフカの文章を遠ざけることではなく逆にしっかり近づいて自分ではないと認めることだ。カフカの言葉を遠ざけると、おそらく自分自身から遠ざかるような感覚に陥るはずで、それは失点の大きい二重のミスだ。自分から遠ざかろうとするのもそうだし、そうすることで識閾下でカフカを自分と重ねてしまうのもそうだ。
真理そのものというより、真理に近づこうとする傾斜に触れたくて哲学書の類を読むということを自分はしているように思う。知という場所において重力の役割を果たすものがあり、そこに向かうものを見ていれば、多くの水の飛沫に触れられるにちがいないという直感にしたがっている。真理とされるものには自分がどうあっても許可できないものが含まれるので、それを掴みたいとは思わないし、姿勢を選べるのなら背を向けていたいとさえ思っているが、それはそれとしてそこに落ちていく者には関心がある。その関心は他のものでは替えが効かないと思っている。
パーフィットのもてあそぶ思考実験にはそれが結局のところ虚構だからという理由で不満がある。正確に言うと、虚構だからというのはそれ自体に問題はなく、部分的に虚構でありながら基盤を現実に置いていること、それによって浮かび上がる恣意性について指摘したくなる。”われわれ”に共通する関心事について語らないでは何かを語ったことにはならないと無邪気に考えていられることが”わたし”には不思議だ。SF的な思考実験によってパーフィットが進めようとしている思考は、まさにSFが担うべきところが大で、その効率もSFのほうが断然大きいのではないか。真理を追求しようという思考のデザインがおそらくはSFとは決定的に違っていて、それによって統合された思考であるというところに重要なこととするときの重さの比重が置かれているのかもしれない。いずれにしても真理追求の傾斜はつよく角度は深いので、ここまでのところ読み応えがあると感じられる。(ときおり意識が離脱しながら読み進めているが、10章と11章はほとんど離脱させなかった)

昼間に九番街レトロの雑談力の動画を見たが、雑談力の中身がなかむらしゅんに詰まっていた。実践上の参考にはまったくならないがAttitudeは超参考になる。動画

20251125

日記679

祭りはどこ

2025/11/24 昨日 25582
友人から久しぶりの連絡があった。休職からの復帰意思を聞かれている期限が近くに迫っているとのことで、無理をするのはよくないという無難なことだけ言う。メッセージのやり取りで「絶望」というキーワードも出たのでカフカの本を推める。
11時ぐらいに家を出てサンゾウトウキョウでカレーを食べる。12時前に入店したので並ばずに美味しいカレーを食べられ、かなり満足度が高い滑り出しになった。コルマカレーにはいつもよりたっぷりの玉ねぎが使われているような気がしたが、家人が言うには「いつも通り」ということだったので、いかに優れたカレーショップかということを再確認した。すこし分けてもらったペトラも牛ひき肉たっぷりでとても美味しかった。下北のランチでどこを推めるかという質問があったらつねにサンゾウトウキョウと答えるようにしておきたい。ので記憶を調整する。
井の頭線で渋谷に行く。目当ては渋谷PARCOの6周年祭。しかしそれらしい目立った催しはやっておらず肩透かしをくう格好になった。たのみの綱の屋上もイベント準備だかで閉鎖されていた。せっかくの秋晴れを無為にするようで心苦しくなった。ほぼ日のイベントスペースで「りんご狩り展かもしれない」という責任回避的なタイトルの催しがやっていて入場無料なので中に入る。いろんなりんごの紹介がされており、あまさMAX評価を受けていた「こうとく」と「シナノスイート」を食べ比べてみた。同じ値段とは思えないほどこうとくの圧勝で、蜜の量もみずみずしさもすごく、パイナップルにもなぞらえられるというキャプションについても納得のあまさだった。ドラえもんショップでかわいいミニドラのぬいぐるみに心を掴まれてあやうく持って帰りそうになったがすんでのところで我に返る。家人がさりげなく披露したミニドラのモノマネの出来がよかった。
渋谷PARCOに来たらそのあとは既定路線ともいえる代々木公園に向かい、ベンチに座ってドッグランを眺める。公園には平日金曜より人の量も多かったがドッグランに結集する犬の数も多かった。走り回る犬たちを見ながら賢犬のことをすこし思い出した。
代々木八幡まで歩き、シャトレーゼでシュークリームを買い食いする。中学の裏手にシャトレーゼの店舗があったのを思い出す。シャトレーゼには買い食いする場所というイメージを持っている。富士そばであたたかいそばを食べる。乱切りに特徴がある店舗なのだが、家人は常識破りの春菊天うどんを注文していた。これには驚かされた。粋ではないが乙かもしれないと思った。ちょっと分けてもらったがつるつるもっちりで美味しかったのにも驚いた。
一旦帰宅し、バスケの荷物をとって高円寺に行く。前日の練習でも足を使っていたのでいつものスネの痛みが出た。痛みのせいで全力で走れないのはつらいし悔しい。ひょっとすると床が硬いのも関係しているかもしれない。最後の方はアドレナリンのおかげで痛みを無視できていたのでスネの痛みについては早くその段階に至るのも手だ。帰りは参加者の人に車で新宿まで送ってもらう。会話のなかでタメだということが発覚する。タメの人はやっぱりもう大人だ。東京ででかい外車に乗っているというのも大人感を感じさせた。物質的な豊かさを享受している層で、高校卒業して以来話さなくなったタイプだったので新鮮な気持ちで会話を楽しめた。
帰ってすぐシャワーを浴びて洗濯物を回す。バナナを食べてプロテインを摂ってすぐ寝る。


2025/11/25 今日 5052
朝から出社なのだが、場所が大手町ということもありいつもより遅めの出発で間に合った。4連休のあとだったから憂鬱になりすぎないように、あまり頭を使わず足だけ動かして場所に行くことを心がけた。現場での待機時間に新しい小説の題が思い浮かんだのでその書き出しについて考えた。13時まで待機し、残りは在宅勤務のため帰宅する。代々木上原駅中の中華に黒酢酢豚を食べに寄った。
プライムビデオでゴールデンコンビを2話分見る。残念ながら面白いシーンは少なかったが、ゆりあん安村ペアが面白かった。と思ったら即最下位退場していて予定調和内とはいえ残念だった。すこしだけ頭を使う仕事をしてから写真動画データの整理をする。定時退勤してスタバに行く。図書館で再貸し出しした『理由と人格』を読んで日記を書く。
Vのことをシッダールタが悟りを開くために迷妄といって切り捨てた〈誘惑する悪魔〉の存在と重ねてしまう。われわれという言葉遣いをする言説ではなく、わたしという言葉遣いに留まる言説として文学の立ち位置はあると自分は思っていて、われわれ・ひとびと・花束に対する、わたし・ひと・花一輪の「輪郭の確かさ」を起点にして物事に向かい合いたいと思っている。覚悟することは一般の語法としても仏教の語法としても自分の興味の外にあるということを意識している。たとえば思考実験に赤子を用いるときなど、そうすることを何か不適切なことだと感じる感性が働くことがあると思うが、Vについてもそれと同じように彼を思考実験に供することを不適切だと感じる。Vは赤子とちがい社会的には存在を認められているとは言い難い部分もあり、それをするのはわたしの義務だとその分の責任を負おうとするところもあるので余計にそう思うのだが、その全体が迷妄で、真理に到達する差し障りになっていると言われたら、悟るためには切り捨てなければならないものだと言われたら、自分はわたしを超えた〈われわれ〉のためにそれをするだろうか。もちろんしない。わたしが何らかの意味でいまのわたしを超えていくために(どういう次第か)それが必要になったら、そのときはそれをするだろうか。たぶんしない。何かを捨てて得るものという発想そのものを疑うのは当然のこととして、どの回路をもってしてもそれをするようにわたしを説得することはできないだろうと、わたしは固く信じている。

20251123

日記678

VBD

2025/11/21 一昨日 15043
スタバを出たあと一旦帰宅する。荷物を置いてからすぐに出かけて代々木八幡駅の富士そばでもりそば(特盛り)を食べる。代々木公園まで歩きドッグランで犬たちを見る。ボール遊びが得意な犬とあまり得意ではないがやる気のある犬とやる気はないがボールには興味惹かれている犬とボールそのものに気を取られない犬見知り人見知りの強い犬がいた。手足の長い洋犬、フレンチブルの黒と白、柴犬という取り合わせだったが、性格が表れていて見ていて飽きなかった。しばらく見てから散髪のため千代田線で原宿〜日比谷まで、歩いて有楽町に移動する。バーバースタイルかつNYを意識した内装の雰囲気、阪急メンズ館7階という立地からレベルを推し量り、今の散髪屋に切ってもらっているスタイルをうまく引き継ぐかたちで切ってくれそうだと期待したのだが全然ダメだった。カウンセリングは口調ややりとりこそ丁寧だがこちらの意をくみ取ってくれるものではなく、ある髪型に当てはめるだけの通り一遍の内容だったので自分に合うとか合わないとかを一切考慮せずにしかも思い切りよく刈っていくという最低の組み合わせになった。出来には相当不満足で、鏡で後ろを見せられたときには思わず絶句してしまい、それまで内容に興味を持てないものの一応の受け答えをしていた会話が途切れがちになってしまった。不満だったらどうせもう二度と来ないのだろうし思い切りよくやってしまえという投げやりな意図さえ感じられて、初めての店に飛び込みで入ることの危険を知るようになった。料金は6600円もしたのでまあ仕方ないかとも思えずただただ残念でならない。バーバースタイルの店なのにフェイシャルエステやってますとか言っていて、店の志向と店員の特性がちぐはぐでまったく噛み合っていない。
お金さえ払えば良いサービスを受けられるというわけではないという当たり前の話なのだけどいざ自分の身に消費行動における明確な不満足が降りかかるとこうやって愚痴を言いたくなる。ただ気を取り直してこの日のメインイベントである家人の所属する吹奏楽団の演奏会を聴きに錦糸町まで移動する。帰宅ラッシュに巻き込まれないようにするため、17時ちょうどに有楽町〜秋葉原〜錦糸町と乗り換える。開場まで時間があったので吉野家で唐揚げ定食を食べてから会場のすみだトリフォニーホールに入る。立派なホールで客入りもほぼ満席ぐらいだったのでもし自分が演奏するとなると気圧されるだろうなと思うほどだった。フィンランディア、芥川也寸志の管弦楽団のための曲、アルプス交響曲の3本立てでどれもよかったが、芥川也寸志の曲が音の響きに圧があってとくに良かった。
撤収後の家人と合流していっしょに帰る。打ち上げるためトリキに行きたかったが靴ずれが危ぶまれるということで無しにして、家での晩酌にノンアルビールで付き合う。


2025/11/22 昨日 5285
朝起きてボードゲーム会などのイベントに友人を呼ぶために家人とルンバに掃除をしてもらう。BGM代わりに33のやつのゲームプレー動画を流す。
12、13、14時と時間おきに参加者の友人が集まり、ポーカー大会のための写真撮影とボードゲームをする。1日がかりで20時ぐらいまでチャオチャオ、タイムボム、ポーカーで遊ぶ。ハンコを持ってきてもらっての頼みごともきいてもらい、記念撮影もして、とても楽しい特別な日になった。


2025/11/23 今日 27129
朝はゆっくり出かける準備をして過ごし、歩いて松陰神社前まで行くことにする。途中橋を渡った先のパン屋で朝食をとり、ゆっくり歩いて目的地に向かう。
既定の用事を済ませてから松陰神社前駅前にあるご飯屋を物色。煮干しラーメンの店JINに入る。麺量がしっかりあるおいしい煮干しラーメンで満足した。来た道とは違う梅ヶ丘駅経由の道を歩いて帰る。
家人は予定していた友人との恵比寿での会食に出かける。家で千秋楽を見る。まさかの大の里の怪我による休場で、優勝はアオニシキと豊昇龍によって争われることになった。優勝は琴櫻を破って優勝決定戦に進んだアオニシキのものになった。低くて強い当たりで豊昇龍はすごく取りにくそうに見えた。大関昇進と優勝という結果を得てアオニシキの破竹はどこまで続くのかが楽しみだ。
狛江までバスケの練習に向かう。シュートフォームのチェックを兼ねたシュート練習をする。狛江食堂で生姜焼き定食を食べて帰る。

20251121

日記677

大崎乗り換え

2025/11/18 一昨昨日 20932
朝から出社。仕事終わりには月島でバスケがあったのでボストンバッグを持って早めに家を出る。ギリギリの時間になるとエレベータが混むのでそのときにボストンバッグを装備していると邪魔かなと考えてのことだったが、縦に持つことであまりかさばらないということに気がつき、結局杞憂だった。午前中にはグループ横断の定例ミーティングがあり、グループで「最近チャレンジしたこと」について喋らさせられた。バスケ、演劇、小説、何を言ってもパーソナルをさらすことになるので、自分のなかではもっとも無難な内容と思われた「タイピングでホームポジションを身に着けること」という内容で喋ったのだが、周囲を見渡すとそれでも十分浮いていたような気がする。バスケあたりの話題が一番差し障りもなくそれなりにそうなんだと思われる内容だったとは思うが、自分なりに一生懸命やっていることを勤務場所で言うのは憚られる気持ちが働いた。背が高いですものね、という処理のされ方を嫌ったのもある。あきらかに先回りしすぎだが、それでもそうなるのは見えているわけだから、見えている以上回避するほかない。相変わらず仕事が忙しく、これが繁忙期というやつかと思わさせられる。たぶん去年もこの時期に忙しかったはずだが、覚えていないし思い出そうとも思わない。
定時退勤できず20分程度の残業になる。バスケが控えているので気が焦ったが、最短最速の経路、泉岳寺〜大門〜月島のコースと電車に乗り、開始時間10分遅れでの到着になった。アップ時間帯にシュートを打つ。脚が痛くて集中力を発揮できず、この日もシュートは諦めてただ走ることだけに意識を向けて、攻守のトランジションによるアップダウンを厭わず走り切ることに専念した。そのおかげでバスケ終わりの飲み会でも疲れ切ってろくに喋らないことになるかと我が事ながら危ぶんだが、タベルナというスペイン料理店の雰囲気がちゃんとスパニッシュだったこともあって陽気な気分を取り戻し、アルコール無しで会話を楽しむことに成功した。年下も多く、気を遣わせる側になっているので、会がもっと楽しくないと彼らの収支が合わないのではないかと思わないでもないのだが、まずは自分が楽しいということがその雰囲気が伝播するという意味でも大事だし、そもそもそこまでのサービス能力を持ち合わせていないので、いつもの通り”ニコニコして楽しそう”のポジションでうすぼんやりしていた。ただひと盛り上がりふた盛り上がりして、ピーク時間にお会計ということになれば言うことなかったのだが、すこしうだうだする時間があった。翌朝も出社なので寝不足が確定していたのもあって気を揉んだわけだが、これがアルコールを摂っていれば気にならない時間の筆頭なのかもしれない。場が盛り上がっているときにはアルコールなしでも一切気にならないが、こういうエアポケットに入ったタイミングで意識レベルがシャンとしていると、これけっこう無駄な時間だなという無駄な感想を抱くことになりやすい、ということを発見した。酔っ払いはすべてを鷹揚に受け流す能力に長けており、時間感覚も独特の緩み方をするものだから、比較的楽しい記憶が蓄積されやすくなるのだろう。ネット広告で流れてくるクソゲームにハマってしまっているという話で盛り上がったのが面白かった。あれに引っかかる人本当にいるんだという第一感をやり過ごし、どういうつもりで? と思って話を聞いていると、単純作業で頭を休めているのだということがなんとなく見えてきた。それでも、そのことを理解したうえでもやらないほうが良いと思う。とりわけ絡まった紐を解くゲームにハマっていてすでに1000ステージめに突入しているとか言うのには突き抜けた面白さがあった。くだらないことのくだらない部分に特有の良さがあり、飲み屋で話す話題として絶好のものだ。あとは性格診断と恋愛性格診断の話。こういうときにすぐ診断結果の奥側の話をしたがる自分は、先を急ぐ旅人のようで、いかにも無粋だということも思うので、口をつぐまずにはいられなかった。恋愛性格診断のパーフェクトカメレオンという結果は自分のなかでは恥だと思うところがあるので、何回かやって得た結果のなかでもっとも自分に合うと思われる恋愛モンスターの結果を公表することにしている。ウェルテルだってクレエゲルだってそうだろう。まあ話せなかった話の話をしてもしょうがない。とにかく面白い座組の飲み会だった。人のことを知りたいという願望がある程度満たされ、もっと知りたいと思うところで終わる、そういう意味で理想的な飲み会だった。


2025/11/19 一昨日 9844
朝から出社。6時間睡眠で予定通り寝不足なのだが、そこまできつい症状はあらわれず、仕事が忙しい一日になることは確定していたし、どうでもいいことをやるのにはちょうどいい一日ということにして、しゃかりきに働いた。この日のハイライトはやはり打ち合わせだ。上司にあたる人たち相手に事情の説明をする会で、自分がドリブルしないといけない場だったので緊張した。こういうのはWebミーティングでも緊張するのだが、対面だったので余計に緊張した。何度かWebミーティングで経験しているし、まったくのお初というわけではないので、そつなくこなすとはまるで言えないものの、つつがなく終わらせることには成功した。この手の対人スキルというのは上達させていくものという考えがあったのだが、そういうわかりやすいレベルアップ・向上するようなものではなく、無理やりにでも回路を通すことで徐々に詰まりを取っていくような、泥臭い作業に近いということが何度かの実践を通してわかってきた。ストローの機能を十全に果たすようになってから先、ストローをデコるということが可能になるわけだが、経験前・視聴後の頭ではデコレーションの部分ばかりを見て本質を見落とすということが起こっていたのだと思う。うまくデコれないことを気にして、もっと上手に話すためのハウツーに手を伸ばしたりしても効果がないし、むしろ人によってはマイナスに働くかもしれない。それらは本を売るために書かれた文言でデコられた本にすぎない。うまくやっているように見える人のモノマネをして”うまくやっているように見える”を手に入れるというのもひとつの経路なのだろうが、人それぞれに適したやり方があるなかでそれ一辺倒になるのはどうかと思う。
定時退勤後、LUFTBAUMに行く。会期が終わったイベントで使われていた飾りの枝を配布していたのでありがたく頂戴した。いまLUFTBAUMは穴場だと思う。おしゃれアレルギー持ちの人には居るのが難しい空間だろうと思うが、おしゃれということを気にしない人にとっては居心地のいい場所だと思う。空間のデザインが面白く、これまでにない体験ができる。ほの暗い・リズム音楽の一音一音が強いなどの特徴がナイトクラブを思わせるが、天井が抜けているのと植物が生い茂っているのとで、あとテキーラが売られていないことで、退廃的な部分はかなり中和されている。選曲もChillな雰囲気なのだが、リラックスできるムードというよりは奥行きがありちょっと進むとRave感の層にぶち当たりそうな気配がある。
スタバによらずに帰宅し、晩ご飯に余った白飯とセブンのさば鬼おろしポン酢を食べる。家人にはリクエストのボロネーゼパスタを買って帰る。有吉の壁をすこし見て、たろちんのゲーム実況で33のやつを見る。ゲームは見るよりやるのが良いという考えなのだがPS5を買うわけには行かないし、たろちんがプレイするということに免じて考えを一時取り下げる。見ているだけでも面白いゲームの感じがある。


2025/11/20 昨日 11698
一日在宅勤務。前日に頑張ったので最低限のタスク消化にすればいいと思い、実際そうしたのだが、最低限の閾値が思っているよりだいぶ高いところにあり、結局一生懸命レベルで働くことになった。翌日に有休をとることにしていたので残業も小一時間発生した。途中空き時間には33のやつのゲーム実況を見る。#1を見終わった。ひとつの動画が4時間ぐらいあるので付けっぱにしてだらだら見るのに適している。
狛江まで出かけてバスケに行く。この日は脚の痛みも少なく、腰背中の痛みも弱かったので、つい嬉しくなって走り回った。アドレナリンもたくさん出ていたと思う。楽しかった。
バスケ終わりには狛江湯に行く。アイスバスのつもりで水風呂に長湯する。長い水風呂のあとにあつ湯に入ると、みるみる罪が赦されていくような錯覚におちいった。全身の血管がひらくのがじかに感じられ、危険な気もするのだが、そういう意識を置き去りにして遠くに飛ばされるような、えも言われぬ感覚がある。これは解放だ。
吉野家に行って豚丼を食べる。税込み465円、これで安いと感じられる。デフレの逆だ。帰りの電車と帰宅してから、33のやつのプレー動画を見る。


2025/11/21 今日 2677
8時半に起床。今日は一日休み。そして4連休のスタートだ。そのせいで昨日からずっと嬉しい気分が続いていた。一張羅に身を包み、服の合わせについて試行錯誤する。9時半過ぎ、本番前最後の個人練習に向かう家人といっしょに家を出て下北に向かう。セブンでパニーニを買って食べてからスタバに入る。日記を書いているうちに気がつけば12時を回ってしまった。今日はこのあと役所(あるいはタウンホール)に行って書類をゲット、家人のコンサートの時間までどこかに出かけよう。

日記682

廃墟然 2025/11/29 昨日 7118+ 21時前にまでスタバにいたあとダイエーに寄ってキャベツなどを買って帰る。帰宅してから家人が作ってくれたお好み焼きを食べる。33のやつのゲーム実況をすこし見て、『天』を読んでから寝る。金曜から夜ふかしになってし...