20260114

日記705

天祐

2026/01/12 一昨日 33279
中目黒のスタバに友人Nが現れる。位置情報を送っていたので考えられることのはずなのに、スターバックスコーヒーに友人Nという取り合わせにはギャップがあり、いるはずのない人がいることに驚かされた。その後駅前に戻る途中で友人Bを発見し合流。駅前のコインロッカーにバスケの荷物を置こうと思ったのだが、なんとすべて荷物で埋まっていて思惑が外れた。中目黒駅のコインロッカー数は駅の規模に比して雀の涙程度しかないので荷物を多く持って中目黒に行く向きは注意されたい。悪態をついていても仕方ないのでまずは昼食にしようということでサイゼリヤに行く。たまねぎのズッパがいい味を出している。そのほかほうれん草のソテー、たらこパスタ、ドルチェにティラミスを食べ、コース料理然とした充実感で(たぶん)1100円ぐらいに収まった。生活圏内にサイゼリヤがないのでプレゼンスが上がっている。
駅前に戻るとコインロッカーが空いていたので荷物を滑り込ます。まずは祐天寺の駅を目指して歩く。祐天寺エリアに足を踏み入れるのは初めてだったが、都心にあり渋谷に至近の街のなかでは、商店街のなかに個人商店が多く残っていて風情を感じさせた。人気エリアになるのも肯ける。おそらくは商工会議所が主体となって、昔、山路勝孝なる人物がそれまで名物のなかった中目黒の名物としてタケノコを定着させたということを小学生の絵を使って喧伝していた。山路の一派が地権者として根を張っているということなのだろう。祐天寺の境内まで歩き、駅前に戻って、祐天寺の逆側の通りを通って、学芸大前駅前まで足を伸ばす。友人Bが聞きかじった情報で「学芸大はない」という主張をしていた。大学があろうとなかろうとどうでもいいし聞いたことあるようなないような、聞いたことはあるとは思うけどそれは駅名として聞いていただけか、と思っていたのだが、現存するあらゆる大学の”権威”である友人Nは「学芸大は存在するはず」と真っ向から反論。だからないんだってとその聞き分けのなさを鼻で笑い、冷たくあしらうB。AIに頼るまでもなくインターネット検索で結果は「ある」と出た。ただし別の場所に移設されているとのこと。これだけなら両者の言い分として五分で、明確な勝負はつかなかったといえるのだが、「学芸大そのものが明治か昭和にはもう廃止になっている」と言い切っていたB。あるものをないと言うのは、ないものをあるというよりも罪が深い。二度と学芸大の有無について口を開かないでほしい。
その後、マツヤ電気という今どきめずらしい全国チェーンではない電気屋を冷やかし、日が落ちた商店街の雰囲気をすこしだけ味わって解散する。友人ふたりは渋谷まで、自分は中目黒で荷物を回収してバスケのため体育館へ行く。去年お世話になって今年もお世話になるバスケチームに参加させてもらう。ひとつひとつのナイスプレーの盛り上げ方や、対外試合を想定した強度を保っていることなど、5年以上続いている老舗のチームだけあって環境として優れている。いつもの2時間ではなく3時間という活動時間だったため終わる頃には疲労困憊でへろへろになった。そういうとき自分は怪我をしないように強度を下げてしまう。それで大きな怪我をしていないわけだし功罪半ばというより明確に功寄りだとは思うが、プレー中に怪我をする人を見ると気の毒だと思いつつも忸怩たるものがないではない。レンタサイクルで帰ろうか電車で帰ろうかの2択でミスって冴えない帰り道になってしまった。良い環境だけに自分の居場所を確保する意味でももっと交流したいと思うのだが、帰り道では疲れすぎていて自分から口を開けず。彼らが年上だから喋りづらいというのもいつまでもそんなことを言っている場合ではない。


2026/01/13 昨日 17430
朝から出社。疲れのなか気力を振り絞って出社する。先週末業務端末をオフィスのロッカーに置いてきたので是非もなく。ただ先週末の帰りがけに予想していたとおり、そうでもしないと在宅勤務を決め込んでいたので作戦通りということになった。タスクをこなして昼から在宅に切り替える。渋谷でそばとカツ丼を食べる。いつ行ってもこの店は味が落ちるなと思わさせられるのだが、なぜかついそこで昼食をとってしまうことが多い。マークシティ近くの店なのだが、利点としては食器下げ口がなく、食い終わってそのまま退店するときに江戸っ子風を吹かせられることだ。帰宅してからはとにかく回復に努め、とにかく横になる。大相撲を見てから退勤し狛江に出かける。二日連続だとやはり足が動かず、すねの痛みが発生する。集中を欠いて思うようなプレーができず、アウトサイドシュートも3本打って成功がゼロに終わった。筋力をつけたい。ぼーっとインスタを見ているとパフォーマンスアップに「クレアチン」というアミノ酸が良いらしいと知り、ものは試しと切れかけになったソイプロテインとともにAmazonで注文する。これで試しているサプリはビタミン・鉄・カルシウムなどのミネラル以外では、カルニチン、GABAにつづいて3種目になる。運動前のカルニチンは実感としてかなり効く。運動時の空腹を感じなくなった。それまではゼリー飲料を飲まないとやっていられなかったのだが、無しでも2時間は動ける。脂肪を燃やしてエネルギーに変えやすくするということらしいが、ゼリー無しでも動けるというのはそういうことなのだろう。GABAは取り始めてから深い眠りの時間が多くなった。「Mibandが言うには」なので、精度のほどは確かではないが、よく眠れているような実感はなんとなくある。もともと7時間半以上寝るようにしているし寝れている実感はあったが。


2026/01/14 今日 5026
午前在宅にする。急遽入れられた引き継ぎの打ち合わせをもともと入れられていた打ち合わせと勘違いして焦った。しかし腹を括ってリモートで参加するしかない。と思っていたらもうひとりも別件対応のためリモート参加になっていてちょっと安心した。前日に喜多見駅前で買ってきていたミスドのシナモン2種(ホームカットとオールドファッション)を朝食に、冷食チャーハン卵入り納豆和えを昼食にする。午後から出社。行きの電車内で前日のバスケ動画を見る。ひどいプレーが多かったときの動画を見るのは気が重いが、自分のミスったという実感・印象に反して、動画を見るとそこまで悪くないということが多い。というより客観的に見るといちいち頭を抱えたりするような大したことは起こっていないように見える。要するにミスしたときのオーバーリアクションが過ぎるということになるのだが、客観的にはどうあれそのときの主観的には実際それだけの出来事なわけで、ミスしてガッデムとなる反面、シュートが決まったときにめっちゃ嬉しいというのを確保するためにも、あとはミスを引きずらないですぐ感情処理してしまうためにも、自分の場合は声を上げて嘆いてみせたり、おおげさに頭を抱えて上を向いたりすることを止めようとは思わない。ただ今後は客観的にはそこまで大ごとではないからすぐプレーに復帰しろという指令を出すということも付け足すようにしたい。それからドライブで勝負前にパスアウトする先を見つけておく、DFリバウンド時にパスアウト先を見つけておくという1手先の視野確保を心がけたい。準備することでプレーが果敢になる部分はあると思うので、「果敢にプレーしろ」という曖昧な指示を自分に送る前に、実践的な指示、準備しておくことを意識付けること。午後は定例のチーム打ち合わせに参加し、タスク消化して定時退勤。上長からまだタスクを載せられるだけの余裕があると見なされているようで、冷静に考えるとそれはそのとおりなのだが、タスクを足される嫌さからつい反発してしまいそうになる。ただし、自分は仕事を定時内に終わらせるために自分なりに工夫していて、そういうことをせずに漫然と時間を使っている人と”時間”で比較されたくないという思いはある。だからここは冷静に自分のタスク管理を見せればいい。そのために使っている管理表でもある。
下北沢に戻ってスタバに入る。『失われた時を求めて』を読む。社交界の話が長いように感じられる。しかし長いと思って読んでいるとふいに含蓄のある箇所に当たる。議会の発言における狡知を理解できない一般人というのは、SNSをやっている一般人がいかに簡単に流されてしまうかという話そのままだと思った。しかしこうやって書いてみると結構な違いがある。日記を書く。20時半ごろにスタバを出る。明日は仕事で千葉の南に行く予定があり早起きする必要があり、いつにもまして早寝の予定。

20260112

日記704

知っていたけど新しい(景色)

2026/01/10 一昨日 15410
朝起きて公園にシュートを打ちに行く。9時前なのにバスケコートには高校生らしき人たちが6人ほど集まってシュートを打ったり1on1をしたりと盛り上がりを見せていた。30分ほどいっしょになってシュートを打った。彼らが帰っていったあともう30分ほど打つ。足の力を安定してボールを飛ばす力につなげる感覚を身に着けようと意識した。あとてフォームチェックをするために動画を撮った。帰宅してシャワーを浴びてからあらためて出かける準備をする。
2026年に入っての初稽古に参加する。あたらしい髪型にしていったらおしゃれな参加者の人に髪を切りましたかと訊かれたり褒めてもらえたりした。子供みたいに照れくさってまともな返答を何もできず、ええまあなどと無意味な音声を発するのみに留まってしまった。そういうときは最低限「ありがとうございます」だろう。それはさておき、あがってきた脚本の読み合わせをする。自分が作る側になったらと考えると、このクオリティのものをレベルのちがう参加者にも不足なく表現させられるように、しかも見ていて面白いを担保できるようにと作れるのがすごいと思ってわりと心底から尊敬してしまった。作・演出の人を尊敬しすぎても自分の場合はすぐ萎縮に繋がるという頭があるから、あまりリスペクトの念を抱かないようにと意識して臨んでいるのだが、それでも帽子を脱がないわけにはいかない。少なくとも自分にはとてもできない芸当だ。こういう無邪気な比較も、相手からすれば名誉というよりも軽侮にみえるかもしれず、安直なことは言えないが、それでも内心ですごいと思うとき、やはり自分と比べるということは発生する。これはほかの参加者つまり役者陣にも同じことが当てはまって、自分は自分だと思おうとするというのが基本スタンスなのだとしてもついどうしても引っ張られてしまう。本に書かれてある内容に沿うような感情の出し方がスムーズで、つい観客席の位置に立たされて感心させられるということが起こってしまい、そこから自分の番がきて演者の場所に移るとき緊張感が倍加される。
稽古のあと、交流会ということで居酒屋にいく。何度か行ったことのある良い居酒屋なのだが、2階に座敷席があることを初めて知った。さすが役者だと思ったのは、みな話したい話したいで、トークがあっちゃこっちゃ行っても誰もあまり気にしていなかったところだ。でもそれは最初のほうの緊張感があるときに顕著で、終盤にかけては落ち着いてきていたので、緊張感への処し方が、自分や自分の周りのやるやり方とちがうというだけの話かもしれない。自分はと言うと隣や向かいの人の話が聞きたい聞きたいで質問するばかりになってしまった。これは最初から想定していたことなので今さら驚いたり反省したりもしないが。稽古が巻きで終わったので飲み会も18時という早めの時間帯にお開きになる。あまり食べずに飲んでばかりだったので解散後に松屋で晩御飯を食べる。牛めし並みと生野菜サラダ。
帰宅してからちゃんみなのインタビュー動画を見る。彼女がどういう気持ちを大事にして音楽をやっているかという質問に対して、まっすぐに回答する場面にはインタビュアーの人も含めた感情の共鳴・増幅があり、それは画面のこちら側それぞれにも届くものだったと思う。ここには届いた。あとは技術的でもありソウルの部分でもあると思うのだが、「ノートには何をどう書いてもいい。昔の自分はノートを友達にしていた」という発言があり、実際日本語韓国語英語をまじえて自分だけの思い・感情・考えを書いていったというのを聞いて、これはかなり重要なスキルで、なおかつコア形成でもあったんだろうと思う。たとえば「言語化」というと、即他人とのコミュニケーション文脈に自動的に回されることがあると思うが、それ以前の停留地点としての言語利用もあって、その文脈での言語化には見逃せない効用がある。自分のための、自分のためだけの言語利用について知っていくべきだ。そのためには感じるだけではなく、言葉を使うということが重要だ。言葉を使えばそれだけで言葉があいだに入ってくれる。とにかく大事なのはあいだにものを挟むことだ。


2026/01/11 昨日 9906
朝起きて日比谷までスートピア2を見に行く。IMAXで見るための映画館選択で適当なのが日比谷だったので代々原で乗り換えて日比谷まで行くことにした。復習と称してさきに見直していたズートピアの興奮には及ばずだった。哺乳類の外、つまり爬虫類が出てきたことで、その外、つまり魚類・忠類に対する扱いが気になった。線引きの問題が前面にせり出してくるように感じられてそれが未消化のまま事件が展開していったのがサイドブレーキを引かれたまま走る車のようにスピード感の損失になっており、タイミングよくぎりぎりで助かる、抜群のタイミングで助け舟が表れるというところに見ていて絶妙に気がつく速度になってしまっていた。ライブシーンなども、ほらこれで盛り上がれよと押し付けられているようで、内心から湧き上がる熱を呼び起こすようになっていなかった。しかし2があれば3もあるというのはもはやディズニー映画の常識なので、3への布石として見ればある程度納得もできるか。もちろんそういった様式そのものはまったく評価しないが。
メキシコ料理屋でチキントルティーを食べて自宅に帰る。昼からの稽古のため稽古場へ移動する。この日も時間ギリギリになってLUUPを使うことになった。立ち稽古でミザンスをつけるということが始まった。ミザンスというのはフランス語由来の演劇用語で、立ち位置や出はけの位置を確認しながら決めていくことらしい。前日の交流会でミザンスとは? という話題があったばかりだったので進研ゼミの漫画みたいな面白さがすこしあった。自分の役と場面が決まり、ミザンスを付けてもらうのと同時に演出を付けてもらう。すごく基礎的な内容だが、基礎こそが重要だというのはあらゆるスポーツに共通することでもあるのでつねに心に留めそれを、たぶんそれだけでもいいぐらいだと思うのでそれだけを意識していこうと思った。それはどの場所にいて相手と話すのか、相手との距離感はどのぐらいなのか(身体の距離、心の距離、声の距離)を考えるということ、まずその感情になってセリフをそこに乗せるという順番は不可逆であるということ、コンピュータで単純化していえばハード・OS・アプリの順になるということだ。相手役の俳優が自分の目からは小学生には見えないという問題があるが、その目はこれから作り上げていくべきなのだろう。本を手放して話すというとき、つよい恐怖心が生じて一気に汗が吹き出した。あのときは役の人物になるどころではなく「舞台上で恐怖している人」の表現にしか見えなかったにちがいない。セリフを思い出すということにリソースを割かないまでにならないといけない。ほかの役など、とんでもないセリフ量でそれをやる人もいると思うと、本当に驚嘆すべき能力だ。それを思うとやはり尊敬してしまいどうしてもビビってしまう。気後れという言葉では足りない。
この日も稽古が早めに終わったので家人と温かいものを食べに行こうという話をして、結果ホルモン青木まで飲みに行く。脂を焼いて食い、ビールで流し込む食事だが、炭火鉢の原始的温かさと衛生的動物食を手軽に手に入れられるというのはなんらかのユートピアなのにちがいない。冷麺もおいしかったし、店員の男の子も脱力系の接客ながら愛想がよく、愉快な飲み食いに一役買ってくれてよかった。コンビニでミルクレープを買って帰る。風呂に入って洗濯機を回す。
何かを作りたいという機運が高まった家人によって自分のプライベートワーク用の名刺を作ってもらった。自分のただの思いつきをカタチにできるのは、自分にはその能力がないだけにマジックのようなもので披露してもらうことに喜びがある。シンプルに役立つというのは当然あるが、それだけじゃない。とりあえずワンコイン以下の価格で100枚刷ることにした。ver1の名刺、あるいはver0プロトタイプの名刺ということになる。


2026/01/12 今日 1998
午前のうちに中目黒に移動する。スタバでニッケルボーイズを読んでから日記を書く。このあとTCBのふたりと目黒散歩をして、18時からバスケに行くスケジュールになっている。

20260109

日記703

楽しい音

2026/01/07 一昨日 10858
スタバを出て家に帰る。荷物を置いてからもう一度下北の街に出かける。LIVE HAUSというライブハウスで歌い初めというイベントがあったのでそれを聞きに行った。最初のバンドが若さ一辺倒であまり見るべきところがなく、すわ一大事かと思われたが、目当ての永原真夏が懸念をきれいさっぱり払拭してくれた。3rdアルバムの『うさぎなるままに』通称うさぎ草からの曲が多く、これまで聞いてきた永原真夏ではなかったが、もちろんすべてよかった。とくにムーンナイトという曲はLIVE演奏で聞くと心に沁み入るような良さがある。大満足でそのまま帰ってもよかったのだが、ヤスエでんじゃらすおじさん通称YDOもせっかくなので聞いていこうと思い、何の気なしに残って聞いたのだが、これには不意打ちを食らった。おじさんの、おじさんによる、という命題に答えを出したのが昨年のM1でのドンデコルテだったと思っているのだが、そこに「おじさんのための」を加えた良さがお笑いの点数などとは(そしてたぶんお笑いそのものとも)関係のないところでカナメストーンが表現していて、ひそかにそれに感銘を受けていたのだったが、それと同じものをヤスエでんじゃらすおじさんに感じた。さらに、音楽というのは何よりもまず演奏して楽しいものだというシンプルな話があって、表現がどうこういう以前の原始的な良さ、それをみて単純に楽しそうで羨ましいという気持ちが沸き起こるような良さが彼らのバンド演奏には充溢していた。音楽(音楽演奏)というのは、自己完結しながら完結したものをおすそわけのように共有できるという点ですぐれた表現形式なのかもしれないということを思った。とにかく見て聞いていて楽しそうで、こちらも笑顔になるのを堪えられないという状況にはまり込んで、これがグッドバイブレーションというものかと衝撃を受けた。すばらしい表現を自分の目で見るということが自分の表現にとって一番の学習機会になるというのは間違いないと思うので、演劇の稽古が本格始動する前にすばらしいパフォーマンスを2種類も見られて、その意味でも最高の機会になった。開く感覚があり、気持ちがオープンになった。ここ2,3年で抑圧的な部分の開放の仕方を学びつつある。昔よりもバスケのプレーを楽しめているのもその恩恵に預かっているところが大きいと思う。そういえばアンコールの演目ではくるりの東京のあの部分を合唱する提案などもあり尚更よろしかった。


2026/01/08 昨日 15658
一日在宅勤務。やるべきことを最低限やって、そこまで優先度の高くないタスクの消化(つまりほぼすべてのタスク)は翌日出社した自分に任せるという方針に決める。30分程度の昼寝もして万全の調子で体育館に向かう。
キレのある女子プレーヤーがふたり参加し、お互いの技を競っていて刺激を受ける。自分などはステップワーク、オフボールの動き、ボールハンドリング、状況把握のどれをとってもかなわないのだが、図体のでかさだけで互角以上にわたりあえてしまう。タッパのある方が決定的に有利だというのはゲームとしてのバスケの欠陥だと思う。自分はその恩恵をもろに受けていて、しかも昔より厚かましくそれを享受して平気でいられるようになったので、力まずにそういうことを言えたりもする。しかしだからこそ、自分のなかでのきれいな形・フォームにはこだわりたい。最悪外れたとしても自分のなかで納得できるシュートを放れたらそれだけでよしとできるような安定感のあるシュートフォームを追究していきたい。
狛江湯には行かずにまっすぐ帰る。サラダチキンとおにぎりを晩御飯にする。


2026/01/09 今日 6079
午前在宅。午後から出社。ぶっ豚で小らーめんを食べてから出勤。タスクや返信の消化で一日がすぐ過ぎた。金曜ということもありちょっとした達成感が得られた。Wilsonでヘアバンドを買って帰る。呪術廻戦の死滅回遊前編を見る。バスケの動画2日分をバックアップしながら日記を書く。

20260107

日記702

ふたつとない

2026/01/04 一昨昨日 13357
連休の最終日。今回の連休はほとんど本を読んでいない。午前中スタバに行って日記を書く。すぐお昼になり駅前で家人と合流。渋谷で昼ご飯を食べることにして宮益坂のラケルにいく。ハンバーグオムライスを食べ、さらに気まぐれでドバイチョコレートのパフェを注文する。パフェなんか食べたのはいつぶりかまったく思い出せないのだが、予想どおり甘くて美味しかった。水だけでの完食が難しかったので紅茶を追加注文する。たわむれに地方都市の話をした。
ミヤシタパークを横切ってPARCOへ向かう。「思い出した?」というパプリカの声を聞く。当時好きだったものをふたたび見ることがきっかけで当時のことを思い出すとき、思い出せないことがたくさんあるということを同時に感じ、むしろそっちのほうに気を取られて、素直に懐かしい気持ちになれないことが増えてきた。もっといろいろあったはずだという口惜しい思いがただでさえ少なくなったリソースを持っていく。思い出した!というときにしか思い出していないのに、せっかくの機会なのに、全然思い出せない!という気持ちに押されて、そのまま手を突っ込んで探すわけでもなく開けたままにして思い出が揮発するのをおそれてまた蓋をするときの「温存」と自分に言い聞かせる言葉の白々しさ。
下北に戻ってダイエーで鍋の具材とスープを買い、家で水炊きをする。いつのまにかノンアルビールで十分リラックスできるようになった。家人がリビングに円鏡を設置した。壁に鏡を設置すると部屋が広く見えるということだったが、たしかにそういう効果はありそうだ。


2026/01/05 一昨日 9231
朝から出社。仕事が嫌な日こそ出社したり上長の席近くに座ったりと、内心とは裏腹のアグレッシブな姿勢を見せることで騙していくライフハック。騙すのはもちろん自分の心だ。昼時間に席移動し、午後は予定されていた打ち合わせをこなす。優先度を上げろと言われ続けてのらくらしてきたのだが、ここが限界というところまで引き伸ばしていた。正対して調査し、今の情報からはここまでしかわからないとはっきり言うことで完結させることができた。最初からそうすればよかったともいえるが、最初からこうすればいいとわかっていたわけではないので探り探りやるしかなく、探り探りやった結果、これでいいという落とし所を見つけられたのは成果だった。2月で退場する人からの業務引き継ぎを受けることになる。業務内容が増えることにともなう契約内容変更の交渉をする潮だと思い、営業に連絡する。交渉がまとまるとは思っていないが、なんでも黙ってやるわけではない、向こうがこちらの要求を断ったというかたちは明確に作っておきたい。そのほか、2026年のスケジュールを立てようとしたり、現状の一日の可処分時間の確認をしたり、一年の計を立てる。平日の可処分時間は5時間あるということがあらためてわかった。日記、読書に3時間当ててものこり2時間ある。その時間を使って何をするべきか。ライフタイムを使ってやりたいことは何か。2025年内に酒を飲まない習慣を手に入れたことで一気に時間が増えた。年始の勢いを借りてスマホからYoutubeを削除し、インスタアカウントも上から目線ストリート以外をログアウトした。家計を改善するためには固定費を削るのが有効なように、自由時間を増やすためにはこの手の”引き算”が重要になってくる。
定時に退勤する。仕組みはよくわからないが、ほぼ座っているだけでとても疲れたのでスタバに寄ることもせずまっすぐ家に帰る。ズートピアを見る。ジュディーが上京するシーンで踊りだしたくなったので踊りだした。上京は地方に住むものの数少ない特権だ。ニックは頭も切れてしかも良いやつなので、揺るぎない正ヒロインのポジションだが、一方で「なんのためにリスクをとってお金を貯めているのか」という謎を未解決のまま残していて、人物像に奥行きがある。
寝る前の時間に差し掛かっていたが翌日のバスケに備える意味で、4分間かるくバーピージャンプをする。


2026/01/06 昨日 18410
朝から出社。無機質なオフィスの廊下を歩いていると突然時間の感覚がおかしくなった。今と近過去を含めた過去が繋がっていないことに気づいたような感覚だった。極端にノイズのない空間で感覚が狂ったのか、それともノイズのなさによって狂っていた感覚がふと正常性を取り戻したのか。何を正常とするかによって答えは変わってくるが、社会的正気は前者だろうからとりあえずそれに倣うことにする。しかし存外、それは絶対のものではない。
この日はバスケなので昼には在宅に切り替える。部署の始動がゆっくり気味なのであまり仕事が落ちてこず、ゆっくり過ごしてバスケに備える。スルタンのゲームもあるし、kindleで購入した『ニッケルボーイ』もある。何事もなく定時退勤。
狛江までバスケに出かける。バスケ初め。一本目のシュートは意識せず打とうと考えていたのだが、そうすることも忘れていて実際にリングを前に何も考えず普段通りシュートを打った。ボールが手を離れた瞬間あっと気づいたのだが、そのままリングに吸い込まれて無事ゴールネットを揺らしたのでよかった。今年はとくに得点にこだわってやっていく。そのためにはまず一本一本のシュートの質にこだわることだ。すこし間が空いたにしては身体が動いた。動画を撮っていたので帰りの電車でかるく見返す。相変わらずキレはない、リラックスしすぎているように見える、これが自分の後ろ姿かと思った。


2026/01/07 今日 1617→6366
友人の友人の家に招待される夢を見た。初対面の男女が多くいる場所だったがあまり緊張しなかった。途中抜けしてバスケに行くが体育館についてからシャツを友人宅に忘れてきたことに気づき引き返す。パーティに途中参加する人とエレベーターに乗り合わせる。話が弾んだのでそのままいっしょにパーティに再参加することにした。
8時半にベッドから起き出す。洗濯物を干す。スタバに出かけて日記を書く。11時から散髪。
散髪後、自宅に戻りサッポロ一番みそとうどんを食べて週末に買った昆布巻きを一個消化する。散髪屋さんに提案してもらった新しい髪型はまだすこし慣れないが、オフの装いということでオンオフを切り替える新手になり、せっかくなので取り入れていきたい。
渋谷に出て『ヤンヤン夏の想い出』の2回目を見る。映画のいいところはもし忘れたとしても見返せるところだ。むしろ夢にせよ現実にせよ忘れたらそれでおしまいというシステムのほうに欠陥がある。二回目を見て思ったのは映画としての完成度でいうと恋愛時代のほうに分があるということだ。ただし随所に見られる映像の強さには並ぶものがないし、伝えようとする内容からして完成度の及ばなさがそのままマイナスにはならない。むしろシンプルな表現としての尺度に奥行きを与えている。完成度の高さというのは必ずしも素晴らしい映画体験の条件にはならないということがはっきりしたようだ。

20260104

日記701

いつも新しい

2026/01/02 一昨日 7888
奈良の自宅を6時20分に出てJRで京都駅に向かう。寝不足気味だったが電車のなかでも寝ずに動画を見たりなどして過ごす。新幹線に乗り換えて東京へ。車内では映画『ひゃくえむ』を見る。主人公の目標が早く走ることだけでそれ以外の尺度がないため、とてもシンプルな話で感情移入しやすいようだが、じゅうぶん年若い時ならいざ知らず、いまの自分の年齢ではほとんど感情移入できなかった。いや、よく考えると年若いときにも感情移入はできなかったと思う。陸上競技というものに大して興味惹かれずあまり価値を感じていないのも大きいが、あまりにもシンプルだと視点が一箇所に固定されてしまい、見る側でどこを見るかの選択もできないし、そうすると見るべきところがすくないと感じられてしまうからだ。一度きりの勝負に自らの存在を賭けるという話にはそれ特有の輝きがあるのは間違いない。しかし自分としては、失敗しても次、また失敗してもまた次という弛緩したテンションで、あきらめわるく食い下がる手法を採用していこうとしているところなので、こういったドラマチックな観点にはこちらから背中を向けようと思っている。「早く走れるのが楽しいから走っている」というシンプルさであれば共鳴できるところはあると思うが、そのシンプルさではわかりやすい物語を作れないので、ドラマの盛り上げに必要な苦悩や葛藤のため、有り合わせの思想を詰め込んでいるという印象だ。素材や材料こそちがうものの構造としてはビジネスマンの自己啓発ストーリーと変わるところがない。どのストーリーがよくてどのストーリーがわるいという話ではない。内面の探索過程において、わかりやすいストーリーやわかりやすい自己説明というのはただ単に不要というだけではなく明確な阻害要因になるという話だ。存在の”承認”が目的であれば、なんらかのストーリーは役に立つ有用なものなのだろうが、その成立に役立つドラマ性というのは咀嚼容易なサラダチキンのようなものだ。現実というのは単純化できるものではないので、ある登場人物の喋る「現実逃避」なる単語については、”現実”という記号を使って喋られている空疎な内容にすぎない。彼は話している内容の説得力を現実から吸収しようとして”現実”という記号を濫用している。何を知っていれば現実を知っていることになるのか、それを明示する手形のようなものは存在しないので、この記号についてはそれらしいタイミングで使ったもの勝ちということになる。そういう記号の濫用を避けるというのは、ある種のスタイルや優雅さといった第一義的でない価値観の尺度から求められる水面下の要請になる。そんな余計なものなどなくてもじゅうぶん楽しませることはできると信じ、そう信じてシンプルに表現するというのは、毎日の食事におけるコンビニのサラダチキン利用のように、それはそれで理に適った行動様式といえる。外野から”本当の食事の喜び”を知らないと批判する声が上がったとして、そしてそれに同調する声が多かったとして、そもそも彼が食事の喜びを第一目的にも第二第三目的にも置いていないということは考えられる。何が言いたいかというと、ひゃくえむが面白いという人は、ひゃくえむで良いし、それ以上を求めているわけではないということが有り得て、それは本人にとって不合理でもなんでもないということだ。ビジネス自己啓発に啓発されて良い方向を見つけられる人にしても、サラダチキンの摂取によってパフォーマンス向上を図る人にしても、自分にとって良いもの選び、それを良いと言っているだけの話だ。そして自分はひゃくえむの提案するシンプルさには満足できない。走ることだけに集中しほかのすべてを犠牲にするというのは聞こえがいい(?)が、ほかのすべてのなかからべつの何かを探そうとしなかった怠慢だろうということも言える。まず「自分はこれに全賭けする」という何かを抱えている人への間違ったメッセージになるという問題がある。さらに問題なのはそういう何かをまだ持っていない大多数の人にとっての間違ったメッセージになることだ。そのメッセージはその人のほうへ来たるべき何かへの参入障壁を上げるほうに作用するし、やるからには存在を賭けてとことんそれひとつを貫き通すべきだという間違った先入見を植え付けることになるからだ。そもそも大体の場合、勝つために必要なのはベット額ではなく手札だ。
ただ、超高速移動中に足の早さを競う話を見るという倒錯的なシチュエーションが経験できたのは面白かった。途中トイレに行くとき窓から見た富士山がきれいだった。
午前中に東京駅に到着し、中央線に乗り換えて新宿に出る。伊勢丹メンズ館で2026年に使う用のポマードを2種類購入。洋服も見ていこうと思ったが初売りでかなり賑わっていたので気分が削がれ、予定購入分だけ買ってすぐに帰る。寝不足を解消するために昼寝をする。日が落ちてからようやくベッドを抜け出し、スルタンのゲームをプレイしてから日記を書く。21時頃、雪のちらつくなか家人が帰ってきた。再会を祝してダンスを踊った。踊りながらおみやげをバスセンターに置き忘れてきたことを告げられ、踊り止めて寝る。


2026/01/03 昨日 25381
朝から新宿に集合し、友人Bと中野近辺の散歩をする。紀伊國屋で合流してから花園神社にお参りをする方々を見物、よしもと本社前を通ってゴールデン街を抜けて西武新宿駅へ。中井駅まで電車移動して、川沿いを哲学堂まで歩く。お堂を見て、いにしえの偉人たちの像と記念写真を撮影し哲学堂を出る。新井薬師駅まで歩く。インド・ネパール料理の店でチーズナンセットを食べる。友人は見た目末吉ナシゴレンを食べていた。
氷川神社で初詣する面々と奉納される舞を見物する。友人の東京最初期の元下宿と再開発のためのたくさんの取り壊し区画という沼袋のさびれた現状を確認してから平和の森公園に向かう。無料にしては広いというドッグラン前のベンチに座って小休止しながら、賢い大型犬と普通の大型犬、おバカな大型犬を見る。新井薬師の護摩行をチラ見して商店街を抜けて中野ブロードウェイへ。友人の用足しのためブックファーストに入る。欲しい本(ニッケルボーイ)は当然のように置いていなかった。中央線で新宿経由で下北沢に戻る。すき焼きパーティーに出席していたという家人とも合流し、この日のメインイベント書き初めに参加する。それぞれ、「光明」「確立」「踏込」と書き初める。まいばすけっとで越乃寒梅とリッツパーティーセットを買って自宅に戻る。新井薬師前の商店街で買った昆布締めとマグロの煮付け、カマ焼きで小宴会を開き、宝石のきらめきを2ゲーム遊ぶ。初戦圧敗、2戦目圧勝という戦績だった。紅白のちゃんみなのパフォーマンスがすごかったということでNoNoGirlsというオーディション番組を見る。最初の選考をしっかりやって方向性が定まっていたからだろうが、よくあるオーディション番組の緊張感を持たせるやり方とはちがい、参加者の魅力をできるだけ引き出せるように意識されていたのが好感をもてた。ちゃんみなの取り組みについては「反抗的人間とは何か、それは”No”という人間である」というカミュの言葉の内容を正当に引き継いでいるように思えるし、音楽を通してそれを表現しようとしているという意味でロックだと思った。TCBのライバルというわけではないが、NNGはTCBをネガポジ反転した立ち位置にあり、遠い同志といえるのではないかと思った。それはさておき、自分はちゃんみなを紅白きっかけで認知し、かなり好感をもった。そういう人は多いだろうと思う。フォローしたい。

20260102

日記700

思い出のレガシー

2025/12/31 一昨日 8370
実家で年越しそばを食べる。テレビでは紅白歌合戦を映していたが、意識はほとんどMACの画面にあって「スルタンのゲーム」に集中していた。紅白歌合戦の最中に何度となく祖母がリビングに登場したのだが、テレビ音量が大きいからそれが気になってかもしれないと番組終盤になってからやっと気づいた。それほどスルタンのゲームに夢中になっておりしかるべき気遣いができていなかったわけだが、祖母の隠れた要望を無視する理由としてかなり反道徳的だったと反省している。とはいえそう反省したのは年を越して寝る前にはたと気づいてだったので、まあ過ぎたことは仕方ないとこれを書いている時点では開き直っている。


2026/01/01 昨日 11376
9時頃にやや寝不足状態で目覚める。起床の挨拶の代わりに年明けの挨拶を述べ、作ってもらったお雑煮を食べる。父から勧められるまま午前中からビールを飲んだ。午前中、近くの神社まで初詣に出かける。父母が交代で祖母が乗る補助用の車椅子を押す。神社では祖母は杖をついて歩き、律儀に所定の賽銭箱すべてに小銭を落としていった。自分では初詣に行こうという気はないし、人に合わせて行くのもやめておこうという方針を立てているのだが、何事にも例外はある。何か目的がある方が歩調を合わせて歩くということをしやすいし、目的なんてじつはなんでもいいわけだから。駅前での昼飯の買い物を済ませて帰宅する。帰り道にある公園までスリーマンセルの鹿が遠征にきていた。
一旦帰宅して、母親とふたりで再度出かける。ならまち方面にのぼって降りるコースを歩き、商店街の筋を折れて近鉄奈良駅に向かう。どのスーパーも閉まっていたのでJR奈良駅のスーパーに再訪問することにした。午前よりもやや大回りのコース取りだがほぼ同じ散歩コースになった。母親と会話している感じでは昔とあまり変わらないのだが、どこかで曲がり角を曲がるタイミングがくるのだろうと思う。それを予感しているような口ぶりで人生を総括するようなことを言っていた。それは「生きてきてよかった」という意味の通り一遍の内容だったわけだが、こちらの返しとしても「満足するには早いし長さについてもっと高望みしてもいい」という通り一遍のことしか言えなかった。たぶん言葉の裏を読まないといけないのだろうが、相手の言葉の裏について考えるのが苦手だ。ラジオかなにかで国崎が喋っていた、父親から「俺はあと10年だ」と言われた話をヒントにしてようやくわかりかけたところがある。「まだまだ生きるやろ」と国崎が返したとき、父親は「今の俺で喋れるのがあと10年だ」とさらに返してきたという話だった。どうあっても自分にとって母親は母親なのだが、本人にとっての本人はそれとは次元が違う話ということになるのかもしれない。他人のことはわからないので想像するしかないが、自分で置き換えて国崎父の言ったことを考えるとある程度理解できる。それでもその理解が合っているかどうか、自分の思っている内容と母親の思っている内容とが一致しているのかどうかはわからないのだが、話の内容だけではなくその調子からもなんとなくそういう意味で言っておきたいと思っていること、言おうとしていることを感じた。しかしこちらから話をそこに持っていくことは無理だ。そもそも話してわかるようなことではないと思うのもあるし、何を言って何を言わないでおくかという判断については話し手にまかせるしかない。
夜ご飯を食べてつまらないテレビを見る。翌朝早くの新幹線に乗るために早めに寝る。

20251231

日記699

グッド・

2025/12/30 昨日 11988
昼前に実家に帰る。用意してくれていた昼ご飯を食べたあと昼寝をする。夕方頃に起き出して京都に行く。この前東京に遊びに来た友人Tと河原町で飲む。食事と酒を分けたいという提案をして食事はそのへんの鎌倉パスタに入って済ませ、酒はOILで飲む。友人は「雰囲気は良い」と一定の満足を示していたが「ちょっと音楽の音が大きいな」とこぼしていた。しかしだんだん客入りが増え緩衝材役が充実してきたからか、あるいは音の大きさに慣れてきたからか、時間が深まるにつれレコードの選曲を落ち着かせていったのか、音の大きさがいつの間にか気にならなくなってきた。グッドミュージックばかりだったが、とくに気に入ったのはArnett Cobb『Sizzlin'』とJohn Minnis' Big Bone Band だった。ウイスキーを舐めながら良い時間を過ごした。大学時代のサークルのメンバーを全員思い出せるかという勝負をしかけて記憶力の確かさで圧倒した。と言いたいところだったが、実際には自分の記憶の盲点をつかれる場面もあり、勝ちよりのドローというところに落ち着いた。懐かしさの感情が閾値を超えた勢いで、そのうちでもっとも連絡がつきにくいであろう友人にTが電話をかけた。不意打ちもいいところで、実際、繋がったと思ったらすぐに電話が切れたのだが、なんとその後すぐに折り返しがあり、5分‐10分ほど近況を喋って元気そうだということがわかった。大学生時代に誰にでもあった頭のおかしさをしっかり表現できている畏友のひとりで、大学を中退して実家に帰るという飛び抜けたサークルの止め方をする、すべての飲み会で飲めないお酒を飲んで毎度電信柱に寄りかかりながら歩く、穴の空いた靴下を誇らしげに履く、ほとんど授業を受けず自分がまともと認めている作家の文庫本を読む、といった無頼派としての本物らしさがあり、自分は彼の良いときしか知らないということもあってそのゴーストに影響を受け続けた。今から思い返すと、中島らも、ブコウスキー、太宰らに対する無垢な憧れがあって、酒を飲まないといけないと思い込んでいたふしがあるし、そうやって無頼に憧れるキャラクターを過剰に演じていたともとれる。いずれにしても、憧れるところまでは誰しも同じような反応を見せるもので、その反応・反射でどこまで行動するかというところに人格の強弱が表れるものだが、自分から見た彼はつねにブレーキを踏まないチキンレースの絶対王者だった。恐怖心や理性を麻痺させる手段を持っていて、しかもそのスイッチを押せてしまうというのが破滅者の条件で、彼こそはその条件に適合した社会不適合者だった。できないこととやらないことにはじつは大きなちがいはないのだが、できないのではなくやらないと感じさせたのも、近くで見ているかぎりでは凄みにつながっていくところだった。電話の内容では、3年前に結婚し、いまは会社をやめてやりたいことをやるために自分で事業を始めたという話だった。何をやりたいと思って生きているのか気になるところだが、自分から見て重要なことは、彼が何かをやりたいと思ってそれに沿うかたちで生きているということだ。何遠慮することなくやりたいことをやって生きていくべきで、それ以外の規範は本質的には無いに等しい。ほんの10秒ほどスピーカーに耳を近づけて声を聞いたのだが、音楽の大きさのせいで内容は聞き取れなかったが、はしこい話し方には当時の面影がじゅうぶん感じられた。店を出て串カツ田中に行く。田中→お洒落なバーのコースはあっても、お洒落なバーから田中のコースはそうそうないと思う。乾杯の音頭をとってくれた学生とおぼしきお姉さんが体育会系の元気を見せてくれてしっかり気持ちが盛り上がった。いい時間になったので高瀬川を遡上し、三条大橋を渡って京阪電車で奈良に帰る。


2025/12/31 今日 3108
9時頃に起きてゆっくりする。Steamでスルタンのゲームをダウンロードして遊ぶ。昼ご飯にそばを食べてから一足先に自分の家に戻る弟を見送りがてらカフェにいく。日記を書いたりなんだりして夕方頃に実家に帰る。2025年はバスケによる発散と基礎体力の向上によってかなり充実していた。体育館でバスケをやった日数を数えたら109日にも及んでいて平均歩数は12575歩/日になった(2023年は8247歩、2024年は10429歩)。これらの勢いをもって2026年にもしっかり取り組みたい。それから「俺は俺で遠慮なしに俺のやる事をやる」。

日記705

天祐 2026/01/12 一昨日 33279 中目黒のスタバに友人Nが現れる。位置情報を送っていたので考えられることのはずなのに、スターバックスコーヒーに友人Nという取り合わせにはギャップがあり、いるはずのない人がいることに驚かされた。その後駅前に戻る途...